宿毛市史【近世編‐漁村の組織と生活】

浦人の定義

安政4年(1857)12月に「浦人の呼び名が混雑して、名と実がはっきりしなくなったので、古例によって此度改正したから今後は堅く相守るべきこと」(安芸郡奉行所定目)として次のように定義づけている。
 水主
  .本水主は上方通いの船の所有者、鰹船の所有者または鯨方頭分などで、身代よく御用銀調達など公用に努め困窮者の救済に努めた者は、本水主を名乗ることができるので願い出ること。
  .水主と名乗る者は右の外国内通船の所有者、諸船の沖船頭と乗組の者、鯨漁の者、鰹船の沖船頭と乗組の者など漁業を本業とするものである。間人、商人でもこれらを本業とする志の者は願い出ること。但し商札を渡されている者はそのままでは願い出ることはできない。たとえ御用銀等調達し、困窮者を救済する等公用に努力しても浦人の本業をつとめず居商、酒屋、質屋などを渡世とする者は水主号を願い出ても許可されない。しかし浦人の本業を勤めており家産を破り困窮しておる者のうち由緒正しい者は従来の名号をそのままとし、また身代よき者は本業に復し水主を名乗らしめること。
 、漁師
網元の者は漁師ととなえること。しかし網頭であるものが本水主並のときは、身代に応じて礼服の定も暮し方に相応するよう麻上下あるいは袴着用さしつかへなく、また水夫、小漁業の者もすべて漁師ととなへること。漁は浦人の本業であり、水主役もつとめるべきである。
 、商人
商業をいとなむ者のうち御用銀など調達し困窮者の救済などに努力し、相応の商品を揃へ表通りに店を構へ中位の暮しの者は屋号をつかって差支へないが、行商人や裏住みの小商人はすべて商人といい、屋号をとなへてはならない。しかし水主役はつとめるべきである。
 間人もうと
浦々の本業をもたず日雇など定まった職業のない者はすべて間人と名乗ること。日雇または働者などと云ったが以後はすべて間人ということ。しかし水主役はつとめること、浦の本業として水主にもなりたい志の者が願出ることは差支へない。
 、廻船、市艇、諸漁船、諸網などを作ったときに子弟などの名前で船網主とする浦もあって、水主漁師間人等まじりあうて名実がわからなくなっているので、それぞれ当代の水主の名前に改めさせ、以後は子弟の名前を出すことを禁止すること。
これでみると浦人と呼ばれている者は水主、漁師、商人、間人であって、その他の人々は浦人とは云はなかった。そこには職人、医者、地下浪人その他が居住していたはずであるがそれらは浦人ではなかった。地域によっては浦人が郷に住み、郷人が浦に住む場合もあったが、入相住居のことについて「郷浦の者入相住居の儀苦しからず候得共、組合示方の御趣意に於て差支え候条、働切手を以て当分住居いたし候者は格別、家屋敷を構へ永住いたし候所存の者は、その他の宗門に加はり申すべく、たとえ当分の者たりとも郷浦旧来の約定に背き候者はそれぞれ帰住いたさすべく候」とのことで浦に住めば浦、郷に入れば郷の掟に従い宗門に入ってその土地の定めに従わねばならなかった。