宿毛市史【近世編‐町人と職人-宿毛町の商店】

宿毛町の商店

東福寺西山墓地(明治24年寺石正路写生図)
東福寺西山墓地
(明治24年寺石正路写生図)
『土佐州郡志』によると宿毛町分は150戸であり、『郷村帳』によると124戸である。「宿茂絵図」にある戸数よりも減少しているが、郷村帳の調査は、侍屋敷を除いたものかも知れない。郷村帳によると人口は549人で一戸あたり5人弱である。諸資料によつてみても一戸平均は5人未満であるようであるから当時の推定人口は右の通りであろう。それらの人々がどのような商売をしていたかを知ることは出来ないだけでなく、どれだけの商店があったかさえ明かではない。
東福寺の西山及ぴ城山の墓地で屋号のあるものを調査するとともにまた大島と湊浦の墓地を調査し、過去帳を点検して屋号を明らかにすることができた。その他古文書に散見するものもいくから採取して、商店名を知ることができたが、その内容については不明である。同一のものは省略したが、墓と過去帳とのように場所を異にするものの中に重複したものもある。

大黒屋 (丑之助、文政3年) 今屋 (甚内、享和元年)
御肴屋 (太七、寛政10年) 富屋 (三平、不明)
今舛屋 (舛蔵、弘化4年) 糀屋 (兵五郎、明和4年)
森屋 (貝助、文政10年) 戎屋 (善三郎、天保5年)
八木屋 (享保13年) 里屋 (亀次、天保9年)
熨斗屋 (辰次、天保13年) 佐田屋 (久助、明治2年)
米屋 (六之丞、明和6年) 正木屋 (三右衛門、正徳元年)
民屋 (弥五平、天保6年) 豊後屋 (久四郎、安政7年)
菱屋 (平兵衛、宝暦4年) 室屋 (重右衛門、宝暦元年)
和泉屋 (善蔵、寛政4年) 清水屋 (新八妹、文化14年)
芳屋 (芳竹文右衛門、安永4年) 増田屋 (仁右衛門、享和3年)
紺屋 (八郎右衛門、寛保元年) 山本屋 (芳蔵子、嘉永3年)
大坂屋 (久米次、天保10年) 東屋 (与衛門、元文5年)
茶屋 (菊次、文化11年) 山田屋 (弥平、天明4年)
三原屋 (寅吉、天保2年) 市吉屋 (藤次、文化6年)
山形屋 (兵六、寛永2年) 余増屋 (久之丞、安政4年)
山北屋 (幸作、天明2年) 笹屋 (要助、文政2年)
泉屋 (善蔵、寛政4年) 玉屋 (六助、文政4年)
小松屋 (長吉、天保4年) 丸田屋 (吉之助、文政5年)
吉田屋 (善之助、天保13年) 米屋 (七助母、文政9年)
今倉屋 (先祖墓、明治10年) 増田屋 (与三郎、文政9年)
幡屋 (長之助娘、天保13年) 三好屋 (佐平次妻、文政10年)
京屋 (喜三郎、宝暦7年) 正木屋 (亀助、文政11年)
塩屋 (宅平、天明5年) 辰吉屋 (善之助妻、文政11年)
島屋 (喜七、天明4年) 塩屋 (勝右衛門、文政13年)
竹屋 (次郎右衛門、寛保元年) 三原屋 (寅吉、天保2年)
岩井屋 (勘兵衛、天保14年) 平田屋 (栄吉妻、天保4年)
土佐屋 (馬太郎妻、明治31年) 糀屋 (要吉妻、天保4年)
  以上城山墓地 紺屋 (清之進、天保5年)
塩屋 (市十郎、文久3年) 御肴屋 (庄蔵、天保5年)
舛酒屋 (松之助、天保14年) 松屋 (平右衛門、天保6年)
木屋 (太七、明和7年) 山形屋 (弥三郎、天保8年)
茶屋 (栄助、文政10年) 岡屋 (長之助、天保9年)
土種屋 (善七、天保11年) 舛酒屋 (松之助、天保14年)
亀井屋 (茂平、慶応3年) 松山屋 (幸之助妻、嘉永元年)
北村屋 (安右衛門、寛政3年) 熨斗屋 (善八父、嘉永元年)
  以上西山墓地 菱屋 (栄八父 嘉永元年)
山田屋 (善助、文政元年) 東屋 (弥八、嘉永2年)
大黒屋 (丑之助母  文政元年) 松田屋 (弥之助、嘉永4年)
舛(増)田屋 (常蔵、弘化2年) 千屋 (芳右衛門、安政2年)
布袋屋 (彦次、弘化2年) 今屋 (芳之助、安政5年)
綿屋 (安吾、弘化4年) 角屋 (松蔵、安政6年)
野田屋 (鉄蔵子、嘉永2年) 余土増屋 (嘉助、元治2年)
伏見屋 (銀蔵、嘉永3年) 岩井屋 (幸右衛門、慶応2年)
東屋 (銀八妻、嘉永4年) 今升屋 (武八、慶応2年)
岡野屋 (幾松、嘉永6年) 掛川屋 (才治、慶応2年)
富永屋 (栄次、事永7年)備後五日市 永屋 (弥右衛門、慶応3年)和田村
松田屋 (兼次妻、安政2年) ハリマ屋 (善五郎、明治元年)
掛屋 (富次、安政2年) 子代屋 (善右衛門悴、明治3年)
日番屋 (儀八、天保11年) 室屋 (源助母、明治5年)
  以上浄土寺過去帳   以上清宝寺過去帳
佐竹屋 (代吾、嘉永7年) 徳原屋 (与次、弘化3年)
  以上本山家系譜 舛田屋 (寅蔵)
山田屋 (嘉平、弘化頃) 薬屋 (小野常次)
木屋 (清七郎)   以上  安政地震文書
松屋 (九助) 布袋屋 (本作)
八幡屋   尾野屋 (善平)
酒屋 (郷次) 菱屋 (善三郎)
  以上有田家文書 仕立屋 (品右衛門)
米屋 (銀次) 豆腐屋  
御酒屋 (左平) 紺屋  
今舛屋 (友蔵)   以上  宿茂騒動記
柳屋 (三蔵) 津野屋 (久三郎)
大目屋 (松次) 小野屋 (善平)
八播屋 (長之助) のしゆ屋 (利五平)
肴屋     以上松田文書
米屋 (安次衛門)小筑紫浦 三原屋 (藤之丞)
酒屋 (小野熊次)   正徳5年宗門改文書
津野屋 (善右衛門、文政6年)楠山神社の常夜燈 紺  屋 (福平、明治2年)芳奈八王子宮の手洗鉢
麹屋 (要吉、寛政5年)宿毛天満宮常夜燈 酒□屋      文政2年  坂ノ下天満宮常夜燈
東屋 (弥八、寛政5年)     〃 津野屋         〃         〃
小野屋 (善平、安永5年)     〃 清水屋         〃         〃

東侍町(前方は宿毛城跡)本町通水道町城山墓地
東侍町(前方は宿毛城跡)本町通水道町城山墓地

以上は町分のものと考えられるものであるが、なお次の屋号は浄土寺の過去帳に村名を特に記入してあるものである。町分としたものの中にもこの中に入れるべきもの、或は大島とすべきものがあるかも知れない。また同じ屋号でもそれが一軒でなかったとも考えられるが今はそれを明らかにすることができない。
坂ノ下村富田屋(善之丞、寛政8年)三原屋(儀三郎、天保9年)、和田村菱屋(民次、天保2年)、京屋(吉之助、嘉永3年)、押川村紺屋(徳右衛門、弘化5年)、丸田屋(吉次姉、文久元年)、市山村正木屋(助次、文久2年)、中角村紺屋(清蔵、文久2年)の名も見えている。
また大深浦には店屋(又次父、嘉永4年)とあり、小浦には和食屋(徳兵衛、文政12年)、浜屋(文吉、万延元年)の名が見える。なお坂ノ下には商売人であるかどうかはわからないが、安喜郡津呂浦中谷惣左衛門(享保6年正月)一族の墓、高岡郡秋山村生、和太郎(享保11年12月)の墓がある。津口であった関係であろうと思われる。