宿毛市史【近世編‐町人と職人-職人】
職人
鍛治、大工、左官などの職人はみな親方のところへ弟子入りをして一定の年限を経て一人前となることができたのである。大工の弟子の年数8か年、樽屋弟子8か年、鍛治弟子の年数15年、左官弟子は年数十か月であった。それぞれの年数明けには親方は弟子の独立のために道具を与えることになっていた。たとえば大工の場合は、
鋸大小七丁、鉋十丁、鑿大小十一丁、釘抜一、曲尺、舞新、錐四ッ、鎹ニッ、鉄槌一ッ、砥石ニッ
〆代金八銭二百七十目位、
また鍛治の場合は
吹子、鉄床、大鎚三ッ、小鎚七ッ、鉄鋏三ッ、夕鉄三ッ、ヱバリ十二、鑢三ッ、セン、ナラシ、炭搔き、ホリボッキ
〆八銭5百六匁位
右のとおリであった。これは安芸郡川北文書にのせられているが、恐らくはあまり変化はなかったものと思われる。そして独立するためには職人札を持たねばならなかったのである。
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鍛治願書 |
奉願
一、男壱人 山田村類平伜作太郎
右は作太郎儀私弟子に御座候、年数異儀なく相勤め相応の細工等も出来申候につき右の村へ罷帰り鍛治職仕りたき段願い出申し候間よろしく御詮議の上職札相渡され候様仰せつけらるべく候。
右の趣よろしく仰上げ下されたく願奉候
安政3辰年
宿毛村鍛治 新十郎
鍛治組頭慶助殿
右の通リ願出候間よろしく御詮議の上監札相渡候様仰せつけられたく願上げ奉候以上
同日 鍛治組頭、慶助 (紫岡家蔵)
とあって右等の職人は皆鑑札を受けなければならなかったのである。それぞれの職種ごとに組頭があったことはこの紫岡文書によっても明らかである。なお嘉永頃の職人の賃銀は『川北文書』によると次のようである。
諸職人賃銀
(但諸職人賃八銭四匁尤雇主相賄候時は三匁)
一、瓦葺一人 賃銀五分取
一、左官一人 同 一匁三分取― 六分取
一、家根葺一人 同 五分取― 一匁一分取
一、大工一人 同 五分取― 一匁三分取
一、樽屋一人 同 五分取
一、木挽一人 同 五分取― 九分取
一、鍛治一人 同 六十三匁― 九十匁