宿毛市史【近世編‐交通‐陸上交通】
一里塚
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松尾坂の石柱 (上 伊予分 下 土佐分) |
主要街道には一里(三十六町)ごとに一里塚が築かれ土を盛り松を植えて旅の目安にすると共に、休憩の場にもあてられていた。
一里塚は、松尾坂から甲浦までの五十六、七里の間に五十四、五の一里塚が築かれたのであるが、それが今に残っているのは安芸郡の野根山街道と宿毛の押ノ川位なもので、今では貴重な史蹟となっている。
幡多地区内での一里塚のあった所は、次の通りである。
宿毛郷 大深浦 堂西(但松尾坂御境目より廿一町廿八間東)
同 本村 町入ロノ西
同 押ノ川村
平田村 森ノ下
有岡村 夜籠坂(燒米坂)
荒川村 一ノ谷本田
具同村 馬越
中村 百笑
古塚村
入野本村 酒屋ノ東
上川口村 王無坂西ノ麓
伊田村 雨か神子松山坂上り立
白浜入野佐賀境 西谷
佐賀中角村
伊与木郷 不破原村 しぎ坂
同 拳ノ川村 辻越
(皆山集による)
この中で宿毛郷本村の一里塚は、町入口の西とあるが『宿茂絵図』によると現在の岡本旅館の地点にあたっている。押ノ川村の一里塚は、市山にあって現在も残っており、宿毛市の史蹟に指定されている。この一里塚には、貞享元年(1684)に建立された経塚があり、現在も松とやまももの木が植えられているが、昔は大きな松があったと伝えられている。
平田村森ノ下の一里塚は、平田の森部落にあり、有岡の一里塚は焼米坂の東の上り口にあったのである。
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宿毛一里塚跡 |
押ノ川一里塚 |