宿毛市史【近世編‐交通‐陸上交通】

送番所

土佐の街道の主要駅には、送番所おくりばんしょが置かれ公用の役人や荷物、或は書状の輸送にあたっていた。この送番所は、明治になって郵便局へと移行したのであるから、郵便局の前身とも言えるものである。
幡多郡内の送番所は、貞享2年(1685)には、伊与木から宿毛までの大道筋に6か所、その他に下田、間崎の2か所、計8か所にあり、貞享4年(1687)には下茅が1か所増加して計9か所の送番所が置かれている。(幡多郡中工事訴諸品目録による)
これらの送番所には、役人や荷物、書状を送るための送夫、馬、或は船が常時置かれており、これらの詰夫の人数は、相当なものである。
貞享2年(1685)の幡多郡中8か所の送番所詰の人馬、
送夫49,904人44,938人詰夫
 4,965人加夫
送馬 6,004疋 4,996疋詰馬
 1,008疋加馬
貞享3年(1686)の幡多郡中送番所詰人数
       67,427人
貞享4年(1687)の幡多郡中9か所の送番所詰の送夫、馬、船
  送夫高  64,857人
     内    45,856人 定詰夫
           6,426人 定詰馬
           2,130人 定詰船
          10,445人 加人馬船共
            (幡多郡中工事訴諸品目録による)
このように、9か所の送番所に延六万余の人馬が詰めて(1か所1日平均20人位)輸送に当ったのであるが、これらの送夫には、すべてその付近の農民が出たのであり、農民にとっては、これも大きな負担の1つであったのである。
時代が下るにつれ送番所の数も次第に多くなり幡多郡内伊与木宿毛間では、荷稻、伊与木、佐賀、浮津、鞭、中村、国見、有岡、平田、宿毛に送番所が置かれている(土佐郵駅志による)

送り状
送り状
寺山入口
寺山入口
これら送番所での書状の送りには、笹送り、昼夜送り、時付送り、急送り、村送り等の種類があった。
笹送りとは、笹の葉を片手にこれが枯れないうちに送り届けなければならない送りで、公儀の御用船が漂着したとき、外国船が発見された時などに用いられた。
時付送りというのは、到着の時刻を記入していく送りで、昼夜送りというのは、昼夜をかけて送りとどけて行くものである。時付送り、昼夜送りにする場合は、御座船の出入の時、飢餓人救米願の時、殺害人のあった時、盗賊や火災の時、難船の時、高札場、御蔵、分一家に非常のあった場合等に行われた。しかし、これらの時付送り、昼夜送りは、文政年中には廃止され、急送りにかえられた。(土佐史談137中島巌氏土佐村送史考による)。