宿毛市史【近世編‐教育-藩政時代の教育】

藩政時代の教育

藩政時代、宿毛では領主安東氏(宿毛山内氏、後の伊賀氏)は、土佐藩の執政として、土佐国内の政治につくしてきた。その間、たぴたび藩主の使やお供で、幕府や他藩の重臣との交渉が多く、学問その他の実力がなければその任務が果せなかったのである。
したがって、歴代の領主は自らすすんで学問を修め、武芸にはげみ、家士たちにも文武を奨励し、身分の上下に関係なく文武にすぐれたものを重くとりたてたのであった。これが宿毛家士の文武(特に学問)の気風を高め明治維新に当り、この僻遠の地宿毛から、岩村通俊(農商務大臣)林有造(逓信大臣、代議士)岩村高俊(各県知事)の三兄弟をはじめ、小野義真(日本鉄道社長)、竹内綱(代議士)、大江卓(代議士、部落解放運動者)小野梓(早稲田大学創立者)等々、たくさんの日本的人物を輩出した原因とも言えよう。