宿毛市史【近代、現代編‐明治維新と宿毛‐大江卓、岩村高俊の脱藩】

大江・高俊陸援隊に入る

長崎出帆後途中海難事故に遭ったりして5日目の11月15日馬関(下関)へ入港した。早速木戸に会うため長府の陣屋へ行ったが三田尻へ行って不在だった。仕方なくその夜龍馬の妻(おりょう)を訪れた。
数日後にわかった事であるが、大江達が龍馬の妻おりょうと話し合っていたその頃、龍馬と中岡慎太郎は京都の近江屋で、幕府見廻り組与頭くみかしらの佐々木唯三郎とその配下7人に暗殺されたのである。(平尾道雄著『龍馬のすべて』)
大江達は木戸不在のため、長州を発ち11月23日京都に到着、土佐藩の白川邸に潜伏し、十津川郷士と称していた。
その頃白川邸は陸援隊の本陣になっていた。大江達が陸援隊に入ったいきさつについて、『龍馬のすべて』によると、「市中においては食うこともできなかったことが大きな理由であったらしく、十津川郷士と称したのは、長崎の修学生は土佐藩から反対党と疑われ、拒絶される恐れがあったからである。」といっている。