宿毛市史【近代、現代編‐明治維新と宿毛‐宿毛機勢隊】

宿毛機勢隊の出陣


宿毛願御聞届
宿毛願御聞届
北越出陣名簿
北越出陣名簿

藩主より宿毛兵出兵の許可が下ったのは、明治元年7月10日のことである。すなわち当主山内(伊賀)氏理への藩命は次のようであった。
   宿毛願御聞届ノ事    山内 主馬
 右者此度東国ノ賊徒御征伐被仰付候二付御国ヨリモ被指向置候処戦争兵卒疲労ノ趣加之奥羽越後等合従ノ勢相顕殊二追々会津へ討入之趣依テハ嫡太郎左衛門聊手勢引卒為致自力ヲ以東行御先鋒ノ御一助ニモ相成候様精々尽力為仕度願ノ趣承届候事
   辰7月10日
五藤 内蔵助
   (修史館録)
宿毛より出兵した人々は、伊賀家の『明治元年辰年日記』によると次のとおりである。
   7月14日
一  此の度出兵の人数今日出足致し候事
   但人数覚左之通
  羽田  左膳   石河  莞爾 隊長 鎌田  幾江   桑原  深蔵   近藤謙次郎   石原  彌平   安藤伊豆馬
  近藤  義内   羽田団三郎   斎原  銓治   加藤  虎吾   宗武麻左米   廣瀬   勇   岡添只三郎
  黒萩  貞衛   斎原   暹   吉良忠之進   押川善十郎   酒井  明爾   倉田五十馬   黒川  醇平
  竹葉  退藏   酒井  半助   太田  石助   柴岡喜一郎   和田幸四郎   田中亀三郎   野村  常吾
  長山佐一郎   岡上  保吉   小野一(梓)   山本明一郎   田村  勇馬   宮尾忠三郎    
足軽 仙次郎   清藏   徳馬   喜八   栄馬   弁次   純藏
  勘助   浦次   勝次   嘉助   辰吾   邑吉   兼吾
  栄三郎   惣吉                    
御預郷士 示野宗三郎   伊与田喜一郎   安崎  八男   立田晃三郎            
隊長 羽田  鹿弥   岡添助四郎   廣瀬  房恵   市川愛三郎   石河  右膳   黒萩  右中   斎原馬次郎
  上村  弼次   石河  光馬   日野  謙吉   時岡駒次郎   本山  省吾   弘瀬   脩   鎌田  守治
  近藤左馬次   羽田  勝治   浜田  省馬   大谷  藏六   宗武  光枝   浜田市左衛門   斎原三七郎
  斎原  順吉   岡本孫三郎   三好梅五郎   田村  峰吉   加河林之助   栗原  寅吉   山本  槇藏
  山本  守衛   北岡嶋之助   横山  安次   宮尾  直吉            
足軽 筆次   幸助   定市   幾馬   台次   五郎   只八
  駒吉   嘉吉   喜藏   鎌吉   辰次   清八   脩吉
  丈次   俊次   種次   要吉            
御預郷士 宗崎  亀馬   安田茂七郎   立田  京馬   中村進一郎   酒井  有慶   中野  孝斎   早川  元藏
この他竹内綱、林有造等は伊賀陽太郎に従って従軍している。

機勢隊員の肩章
機勢隊員の肩章

宿毛機勢隊が慶応4年(明治元年)7月14日宿毛を出発し、同年12月5日帰国するまでの日録(日誌)が、機勢隊卅番伍長石河光正によってくわしく記録され、『北越懸軍誌』として土佐史談第36号に掲載されているが全文は枚数に制限があるし、文体が漢文になっているので、進軍状況を別紙図で示し、要点のみを略記する。
7月14日7時頃宿毛を出発し、途中中村・荷稲・須崎と宿陣し、17日夕方高知に着いている。18日高知発、23日観音寺より船に乗り、大阪を経て、京都白川邸には8月2日に着き、京都に3日滞在、町を見物したりし、ここで隊長より錦旗をもらっているが、これは官軍の印としての肩章である。(写真参照)
8月7日京都発新潟を経て新発田に9月1日に着き、ここで岩村高俊に会っている。10日には中次(新潟県)で伊賀陽太郎と面会している。  (11日よりの戦闘の状況は後述する)