宿毛市史【近代、現代編-土佐挙兵計画-佐賀の乱と江藤新平】

佐賀の乱おこる

岩村高俊
岩村高俊
岩村高俊は佐賀権令となって下関より佐賀に来た。佐賀の憂国党を江藤は制御する事ができず、岩村が入県した2月15日の夜、佐賀の乱は勃発した。
権令岩村高俊は憂国党より攻められ、16、17、18日と3日間籠城して戦ったが、賊の勢は増々盛んとなり、高俊はようやく囲みを破って城を脱出した。その時大久保利通は、岩村通俊を幕僚として、佐賀鎮定の為に兵部、刑部(警察)両面の全権を帯びて、東京、大阪の鎮台兵を連れて佐賀に着き、大攻撃を加えてこれを破った。
23日江藤新平は戦場を逃れて船で脱出し、薩摩へ向かい、3月1日と2日に西郷に逢ったが保護を拒否されたので、やむなく日向に向かい、小倉処平に会い、その尽力で外の浦より渡船をやとい、一行9名(江藤新平、香月桂五郎、中島又吉、横山節里、山中一郎、中島鼎蔵、横山叙臣、江ロ林吉、船田次郎)は豊予海峡を横断して3月15日宇和島に上陸した。これは土佐の林有造、片岡健吉に会う為であった。