宿毛市史【近代、現代編-自由民権運動-選挙干渉】

第1回総選挙

竹内 綱
竹内 綱
待望の国会を控えて明治23年(1890)7月1日には衆議院議員第1回総選挙が行われた。
当時の選挙法は人口12万に付き議員1名の標準で、郡をもって選挙区画の基準としたもので、高知県は3選挙区に分れて定員は4名、庚寅倶楽部に属する自由派とこれに対抗する国民派の候補者によって票が争われたが、開票の結果は次のとおりで自由派が完全な勝利を治めた。

第1区(高知市・土佐・長岡郡)
  当 選1,288票竹内   綱(自)
  次 点  134票新階 武雄
第2区(吾川・高岡・幡多郡)
  当 選1,397票片岡 健吉(自)
  当 選1,323票林   有造(自)
  次 点  857票弘田 正郎
   833票片岡 直温
第3区(香美・安芸2郡)
  当 選1,202票植木 枝盛(自)
  次 点  282票西尾 元輔

その他高知県人で、他府県から立候補して当選したのは、神奈川県で中島信行・大阪府で中江兆民・岩手県で大江卓がある。
大江は岩手県第5区を選挙地として選び、衆議院議員に当選したのであるが、彼が岩手県を選んだのは別に深い理由があったのではないが、彼がかつて立志社の獄の際、岩手監獄にあって、岩手県民から少なからぬ尊敬を受け総選挙に当って熱心に県民の一部から立候補を勧められたからであった。
当時、国事犯といえば一般に罪人としてこれを見る者は少なく、むしろ男子の名誉として尊敬する者が多かったという。大江・林が岩手の獄に在る事が一般県民の知る所となった際、こういう天下の名士が岩手県に有る事は、我郷党の為名誉とすべきであるという声さえ聞かれたという。
それで、いよいよ総選挙という事になり、県民中の有志が直ちに上京して大江の立候補を促したのである。彼が見事当選の栄冠を勝ちとったのは、実に岩手県民の熱意の賜であった。      (『大江天也伝』)