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深浦の小幡進一氏より 林有造宛の手紙 |
○ | この和田事件の目撃者の1人である和田の山本兼馬氏(明治14年生)はこの時のようすを次のように語っている。 |
「国民党の方は、押ノ川の押川を根拠地にして釜で4つも5つも飯を炊き、腹ごしらえをして刀や鉄砲を持って市山峠に向って来た。 国民党の方では、林有造の首をとったら一万円やるといって気負うていた。自由党の方は林さんの家が根拠地で、ここで飯を炊き、手槍や刀等をむしろに包み、鍬の柄を持って宿毛の堤防に陣地をしき、尖兵を市山峠に出し、正和部落の入口の山には石を積んで、下に来た時落せるようにしていた。そのうち和田の「えんの下」で両軍がいきおうて今にも合戦になりそうになった。この時憲兵8人が出て来て、国民党の方に向って『1足でもかけたら撃つぞ』といって国民党を追っぱらった。私はその時、まだ12才位の子供であったので、家族と一緒に裏の竹やぷに逃げて、そこにむしろをしいて一夜を明かしたが、雪が降ってとても寒かった。朝目がさめてみると役場の庭に人が多勢集っているので行って見ると、庭に1人の男がわらじ履きのまま殺されて、しまのけっとうを着せられていた。よく見ると両手は皮一重だけ残ってぶらりとしており、頭はまるで柿を割ったように割れて、骨は飛び散って下のあごだけが残っていた。そのうちに憲兵や警官や医者がやって米て、飛び散った骨をとり集めて縫うた。 その時皆が『よっぽどの達人でないとこうは斬れん』といっていた。 あとで殺された時のようすを聞いたが、その話によると「えんの下」で混雑している時1人の男が刀を腰にさして和田に入って来た。 どうもこの男は国民党のまわし者だというて数人の者があとをつけていると、その男は和田の役場に来た。その時役場には村長の山本重剛と小使の田渕鉄次とが居た。その男は玄関に入って土間で村長に向って、 『私は郡書記の細川速水だが、今日の選挙のことについて郡から来た』と話していた。あとからつけて来た者たちは、 『うそをいうな』『こいつはうそゆいぞ』と云って土間から外に引っぱり出した時、吉田平太郎が『おこて、おこて』といって、またたく間に両方の手首を斬ってしまった。 細川は『キァア、キァア』と大声でわめいているのを今度は『お面』と云って頭を斬った。細川はぷったおれて、しゃけっていた。 長尾菊治は『おどりゃ、まだべしゃべしゃ云いよるか』と言って鍬の柄で頭をたたき、続いて吉田達が何度も斬りつけてとうとう殺してしまった。この時の細川の悲鳴は相当に大きな声であったとみえて、付近の人達は皆がこの悲鳴を聞いている。 細川を斬った吉田平太郎は、「河戸」で刀や手、顔を洗って林さんの家に帰り、2階で一杯酒を飲んで、いとま乞いをして伊予の方に逃げた。吉田という男は、頭は丸坊主で大きな人で、自由党に雇われて林さんの家に来ていた人で、剣道のよくできた人であった。その後この吉田は裁判の結果、松山の監獄に入れられ3ヶ月ぱかりして死んだという。この事件の時、和田からは長尾菊治・助村顕藏・木下亀吾・森田伊勢次・北本藤馬等が中村へ呼ばれて調べられた。 その時の投票は、国税を15円以上納める者でないと投票できなかった。 宿毛で投票すると自由党が勝つと思ったのか、和田の役場が投票所になり、宿毛の人も和田に来て投票した。自由党の地盤であるこの地の投票箱を途中で国民党にとられてはいかん、よっぽどしっかりした者に須崎の開票所まで持って行かせなくては、という事になり、巡査を田の中に突き飛ばした事のある松沢深水に投票箱を持たせ、じゃまが入らんようにと楠山の奥を山越えして川崎に出て、開票所の須崎まで持って行った。」(橋田庫欣資料による) |
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細川速水殺害場所付近の現状 |
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細川速水殺害事件 終結決定書 |
高知地方裁判所中村支部 | |||||
明治25年豫第20号 | |||||
終結決定書 | |||||
香川県阿野郡林田村 | 平民 | 農 | 吉田小次郎事 | 吉田平太郎 | 47歳9月生 |
高知県幡多郡和田村野地 | 士族 | 農 | 山本 重剛 | 40年8月 | |
仝県全郡宿毛村宿毛町 | 平民 | 無職業 | 池田 延孝 | 35年6月 | |
仝町 | 士族 | 無職業 | 宗武麻左米 | 44年5月 | |
仝町 | 平民 | 商 | 山本 寅吾 | 33年4月 | |
仝村宿毛 | 平民 | 商 | 黒川幸三郎 | 27年9月 | |
仝所 | 士族 | 無職業 | 山本 六弥 | 33年5月 | |
仝 | 浜田 三賢 | 45歳 | |||
仝 | 竹村 成明 | 39年10月 | |||
仝所 | 平民 | 無職業 | 宮尾 健造 | 24年6月 | |
高知県幡多郡宿毛村宿毛 | 生田熊次郎 | 33年7月 | |||
仝村宿毛町 | 平民 | 無職業 | 長尾 栄 | 50年7月 | |
仝所 | 平民 | 商 | 北村 儀又 | 47年10月 | |
仝所中村中村町 | 平民 | 商 | 松本大次郎 | 20年6月 | |
仝所仝 | 金子市太郎 | 19年 | |||
仝 | 福山勝次郎 | 28年10月 | |||
仝 | 福岡伝之助 | 24年1月 | |||
仝 | 竹村 三郎 | 26年6月 | |||
仝 | 藤倉豊太郎 | 27年1月 | |||
仝 | 佐野馬之助 | 26年8月 | |||
仝 | 山本吉次郎 | 32年6月 | |||
仝 | 寺内琴次郎 | 29年3月 | |||
仝 | 山崎文太郎 | 29年10月 | |||
仝 | 亀谷淺次郎 | 23年8月 | |||
仝所 | 平民 | 商 | 松浦 慶次事 | 山崎慶次郎 | 26年1月 |
仝所中村 | 士族 | 無職 | 小野 重弘事 | 小野 金廣 | 36年3月 |
仝所 | 平民 | 雑業 | 鹿取竜次郎事 | 鹿取乙次郎 | 27年9月 |
仝所中村町 | 平民 | 雑業 | 井上 栄次事 | 井上 栄治 | 27年11月 |
高知市南奉公人町 | 平民 | 商 | 岡崎熊太郎 | 40年7月 | |
幡多郡和田村和田 | 平民 | 農 | 田渕 鉄次 | 17年7月 | |
愛媛県南宇和郡高瀬村 | 平民 | 紙漉業 | 堀田 兼吉 | 42年1月 | |
高知県土佐郡旭村石井 | 平民 | 無職業 | 渡辺松太郎 | 26年7月 | |
愛媛県喜多郡平村大宇市木 | 士族 | 仲買商 | 大田重次郎 | 21才生月不知 | |
高知県幡多郡上灘村大岐 | 士族 | 無職業 | 葛目 萌 | 23年7月 | |
大分県宇佐郡香下村 | 平民 | 竹工 | 安部 孫市 | 18年9月 | |
高知県高岡郡高岡村灘組 | 平民 | 桜木宇太郎事 | 桜木卯太郎 | 23年5月 | |
住所不知 | 岡常萬十郎 | 年令不知 |
右兇徒嘯聚事件豫審ヲ遂ケシ処、被告吉田小次郎事吉田平太郎ハ明治25年衆議院議貝第2回総選挙ノ際膂力人ニ優レ且剣術ノ技アル故ヲ以テ雇ハレテ自由派ノ壮士ト成リ選挙競争ノ為、高知県幡多郡宿毛村ニ滞在中、同年二2月14日国民派ノ壮士大挙シ同郡和田村大字和田ニ来襲セリトノ報ニ接シ、其防禦ノ為一刀ヲ携へ旅宿室山源八方ヲ出テ、和田村ニ赴キ、同地街道ノ辺リニ数百名ノ同志ト與ニ屯集シ居タル所、翌15日午前3時頃幡多郡書記細川速水カ和田村投票所へ臨時出張ノ為メ、其街道ヲ通行スルヲ目撃シ、国民派中ノ者ナラント思量シ、他数名ノ同志ト與ニ右投票所ナル和田村役場へ尾行シ之ヲ暗殺スル目的ヲ以テ同所庭内ニ於テ被告吉田平太郎其携ツル所ノ刀ヲ以テ、先ツ速水ノ両手首ヲ斬リ、続テ7度ヒ頭部ヲ乱割シ蓋骨ヲ刵割シ煩悶号叫ノ裡ニ遂ニ之ヲ殺シタルモノニシテ、其事実ノ証拠十分ナリト思料ス、之ヲ法律ニ照スニ道路ニ刀ヲ携ヘタル所為ハ保安条例第5条全6条ヲ遺用スヘキ軽罪ニシテ、又参刻(残酷)ニ人ヲ殺シタル所為ハ刑法第295条ニ該当スル重罪ナリトス。依テ刑事訴訟法第168条ノ規定ニ従ヒ本件ヲ高知地方裁判所ノ重罪公判ニ付ス。 被告ハ此決定ニ対シ抗告ヲ為ズコトヲ得、其期間ハ此決定ノ送達アリタル日ヨリ3日内トス。 被告吉田平太郎ガ兇徒ヲ嘯聚シタリトノ事及被告山本重剛外35名カ兇徒ヲ嘯衆シ且ツ速水ヲ殺シタルトノ事実ハ何レモ其証拠十分ナラサルヲ以テ刑事訴訟法第165条ニ従ヒ、山本重剛、長尾栄、宮尾健造、生田熊太郎ハ免訴且放免シ、吉田平太郎外32名ハ各免訴ス 明治25年5月16日 於高知地方裁判所中村支部 豫審判事 田 中 恒 馬 裁判所書記 伊 藤 利 馬 右原本二依リ此正本ヲ作ルモノ也 明治25年5月24日 高知地方裁判所中村支部裁判所書記 伊藤 利馬 印 | |||||
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細川速水殺害現場見取図 |