宿毛市史【近代、現代編-農業-大正9年の災害と耕地整理】

大正9年の災害と耕地整理

山田耕地整理記念碑
山田耕地整理記念碑
この当時宿毛で特に注目すべき出来事は、大正9年8月15日の集中豪雨による被害であった。この豪雨はたいへん大きなもので、山崩れが多く河川の氾濫や堤防決壊があり、人畜の被害はもちろん田畑も押し流されたり土砂で埋め尽されたりして、至る所が一夜のうちに河原となってしまい稲の収穫はもちろん皆無の状態であった。しかし米を主要な収入財源としている農家はそのまま放置する事はできず、一日も早く復旧しなくてはならなかった。しかし元のような美田とすることは莫大な資材と労力を要することであった。そこで部落の人達が寄り集まり協議の結果、耕地整理組合を作り土地改良に乗り出した。耕地整理組合は米作の盛んな山田、芳奈、乎田、和田等に多く作られ、多くの金と労力を費やして整然と整地された美田に改良した。当時の補助金はわずかなもので、これを天神耕地整理組合(山奈町)の子算で見ると、総額62,003円15銭のうち助成金は6,564円8銭で総経費の一割強である。当時の耕地復旧整地事業はたいへんなものであったので、これを記念して山奈村竹石や和田等には記念碑も建てられている。竹石の記念碑の碑文は次の通りである。
    山田耕地整理組合記念碑
大正9年8月稲作成熟期ニ際シ豪雨シ、山岳ノ崩壊甚シク、大洪水トナリ土砂木石ヲ流シ、堤塘道路決壊シ主要ノ耕作地ハ全部砂礫ノ荒原ト化シ、収穫皆無ト為リ、凄惨名状スヘカラサルニ至リ、人心恟々トシテ生活ノ不安ヲ叫ハサル者ナシ、爰ニ於テ吾人ハ大困憊ノ刺戟二由リ、日夜商議ヲ重ネ字□□越ヨリ字コダイカフチニ至ル総面積百六町余ヲ地区トシ、本組合ヲ設立シ、全河身ノ変更、堰堤築造、荒地の復旧、用排水路ノ新設其他ヲ計画シ、資金ハ主トシテ無利子又ハ低利ノ負債及開墾助成金ヲ充当シ、同十年五月中旬工事ニ着工施行シ、総費額参拾壱万参千余円ヲ投シ、同十五年九月上澣竣工セり、茲ニ其梗概ヲ録ス
      昭和7年12月15日     撰 文  兼 松   忠
                       組合長  兼 松   忠
このような整地事業の行なわれた所はこの外にも多く、天神耕地整理組合等に当時の様子を見ることができる。
天神耕地整理組合は、大正11年8月19日設立申請を出し、11年9月19日に許可となった。大正11年10月28日起債認可申請書を出した。県より3万5千円を無利子で借り、4年据置き、据置き期限満了の翌日から15年以内に年賦で支払うのと、銀行より8千円以内、年利1割3分以内で借り入れ、これを資金として耕地整理に取リ組んだのであった。当時の災害地は土砂が何メートルも積もり、あぜも道も判然としない一面の河原であったので、相当の難工事であったらしく、レール並ぴに付属品を県より借受けている。レールは一九八間(356メートル)車輪付属品3台分、レールゲージ1個、クローバー1個、レールベンダー1個である。開田に労力を要する所、要しない所、土地が肥えているかどうか等を勘案し、開田費用をつぎの種別に分けて分担している。一反当り単価は、甲種157円95銭、乙種222円30銭、丙種315円90銭、一種15円、二種23円40銭、三種46円80銭、四種60円、五種99円であった。
起債は途中で起債変更等があり、結果的には県より41,200円を無利子で借り受け、又銀行その他よりも3,105円の借り入れを行なっている。これらの耕地整理該当総面積は十四町九畝十七歩で総地価は3,494円32銭であった。これらの借入金の償還財源は整地後の収穫米代金を充てることとして、償還予定をたてているがそれはつぎの表のようになっている。
     借入金元利償還財源表……整理後収穫予想
田地
種別
種類 面  積 反当収量 金額 反 当 生 産 費 純 益 純益総量 備 考
種子代 肥料代
上田 11町9反9畝2歩 2石2斗 66円 18円20銭 12円 30円20銭 35円80銭 4292円78銭 1石
代金30円
一人役
1円
藁1貫目
5円
中田  7町6反7畝4歩 2石 60円 18円20銭 10円 28円20銭 31円80銭 2439円47銭
上田 11町9反9畝2歩 120メ  6円  1円30銭    1円30銭  4円70銭  563円58銭
中田  7町6反7畝4歩 100メ  5円  1円30銭    1円30銭  3円70銭  283円84銭
  19町6反6畝7歩           76円 7579円67銭

この整理地に対する税金を見ると、地価総額が3,494円32銭で、この地価に対し地租は千分の45、県税は地租1円に付1円11銭3厘、村税は66銭であるから概算で地租は77円65銭、県税は86円42銭、村税は51円25銭、税金合計215円32銭差引7,364円35銭となる。当時は第1次世界大戦後の経済変動期に入っていたが農業面では比較的安定した時代であった。然しこの安定した時代は僅か5、6年しか続かず、昭和5年より一大農業恐慌が始まった。そのため農産物の価格は暴落したのである。そこで問題となってくるのは大正11年当時一石30円で償還計画をたてたこれらの人達であった。当時の米・麦・労賃等は次の通りである。
米・麦代金及び労働賃銀表 (米・麦……県統計   労賃……県農会調べ)

  種別


年次
米1石代価
麦1石代価
農業労働者
男1人賃銀
大正10 36円50銭 13円50銭  1円80銭
〃  11 27円00銭 15円50銭 1円70銭
〃  12 31円00銭 14円50銭 1円50銭
〃  13 38円00銭 17円50銭 1円50銭
〃  14 35円00銭 20円00銭 1円50銭
昭   1 31円00銭 19円50銭 1円50銭
〃   2 28円00銭 16円00銭 1円40銭
〃   3 27円00銭 15円50銭 1円40銭
〃   4 26円00銭 15円50銭 1円50銭
〃   5 17円50銭 13円00銭 1円10銭
〃   6 16円00銭 10円00銭 60銭
〃   7 19円50銭 9円00銭 60銭
〃   8 19円50銭 10円50銭 70銭
〃   9 24円50銭 11円50銭 70銭
〃  10 27円50銭 12円50銭 60銭
〃  11 27円00銭 15円00銭 80銭
〃  12 30円00銭 16円50銭 1円00銭
〃  13 32円00銭 18円50銭 1円00銭
〃  14 42円00銭 22円00銭 1円50銭
〃  15 42円00銭 29円00銭 2円00銭
〃  16 43円00銭 30円00銭 2円30銭
〃  17 43円00銭 30円00銭 3円00銭

このように米・麦などの穀物価格は大正5、6年頃急落し、起債をうけていた農民達は予期しなかった事態に返還金を滞納した。県よりは度々の督促をうけたけれど、どうしても払うことの出来ない人達が続出した。天神耕地整理組合では、組合長今津徳治の名前で昭和8年5月29日に組合費徴収の延期を願い出た陳情書が見られる。
このような事態に対処してか昭和11年7月4日、高知県総務部長より耕地事業施行者に対する預金部融通資金の償還期限延長に関して通牒が出され、昭和10年度以降30か年賦以内(5か年以内の据置期間を含む)の年賦償還に変更することが決定になり天神組合では29,900円の借替を行なっている。ついで昭和18年1月、中筋村佐田魁三郎氏の発起で借入金免除陳情などをしたけれど成功しなかったようである。そして昭和21年には終戦により国が破産状態になったので転貸資金繰上償還を迫ってきている。当時は米の値段もあがり、闇値などもあって償還がたやすかったようで、多年苦しめられた災害資金も昭和22年頃にはどこも皆済したようである。