宿毛市史【近代、現代編-農業-農地改革】

農地改革

昭和20年8月15日日本がポツダム宣言受諾によって太平洋戦争は終りを告げ、占領軍によって占領政策を打ち出すことになったが、直接軍政でなく日本政府を通じて行う間接統治の形をとることとなり、降伏文書にもとづき、連合軍総司令部の指令は、あらゆる日本の従来の法律命令に優先することとなった。20年10月9日幣原内閣成立直後、連合軍総司令官マッカーサー元帥は幣原首相に対し、人権確保の5大改革として婦人解放、労働組合結成奨励、教育の民主化、秘密審問司法制度の撤廃、経済の民主化を要求した。
農地改革はこの要求の中の経済民主化が直接の動因となっているが、総司令部より出された農村解放指令に対する政府よりの回答序説に「日本農業は零細経営を基礎として組立てられ、かつ高率なる現物小作料と、遺制的小作関係に支配されているために、経営の合理化は阻害され、農民所得は常に低位にならしめられている現状を打破し、農村の民主化をかちとる」とあるように、政府の考えも農村の封建性を打破し、民主化を促進して、農奴的小作制度をなくし、明るい農村を打ちたてるために計画されたものである。
第2次農地改革の原案を提起した英連邦代表マクマホン・ボールは「農民の解放は日本人を経済的に精神的に解放するいかなる計画においても、最初のそして最も重要な段階である。ほとんど半数の日本人は農民である。農民の重要さは、その数にあるばかりでなく、日本の社会で最もおくれているところのものを表わしていることにある。いかなる民主政治も、農奴制度の上には建設されない」といっているが、総司令部の考えを代表したものと考えてもよいのではないかと思う。
農地改革を行うにあたっては、まず農政局原案が作成された。その骨子は、
(1)小作料の金納化  (2)市町村農地委員会の民主的改組  (3)自作農の創設であった。
11月12日マッカーサー元帥は「既に行われつつあり、又間もなく実施されるべき諸措置は、現在農民とその家族を奴隷に等しい状態においている幾多の条件を取り除くことになろう」と声明を発し、農地改革を指令する方針を暗示した。
第1次農地改革案の要綱は「農地制度に関する件」として11月16日閣議に提出され、11月22日に決定翌23日新聞に発表された。そして12月4日農地調整法改正法律案として衆議院本会議に上程され、審議に移ったが、その間12月9日総司令部より農民解放指令が出されたこともあって難航しながらも衆議院を通過、同月18日貴族院も通過成立した。
12月9日の解放指令の中で、買収土地所有権の移転、買収土地適正価格の決定などについて21年3月15日までに総司令部へ回答の提出を命ぜられていたので、政府は第1次改革案を基本内容として回答を提出したが、総司令部は対日理事会に付議の結果英国案を骨子とする改革案を示した。この改革案をもとにして、第2次改革法と呼ばれる「自作農特別措置法案」と「農地調整法改正法律案」が8月6日閣議決定され、10月5日衆議院、同11日貴族院を通過成立した。その主要な点は、
(1)不在地主の所有する全小作地及び在村地主の所有する1町歩(本県は7反歩)を越える小作地(小作地と自作地の計が1町9反を越える部分の小作地)を国が買収して小作農に売り渡して自作農を創設する。
(2)買収価格は土地台帳記載の賃貸価格の田は40倍、畑は48倍以内とする。(1反歩の全国平均で田は750円、畑は450円程度であった)
(3)農地の代金は一度に支払えない場合には対価の3割程度を一時払いさせ、残りは24年間の分割払いとする。その場合金利は3分2厘とする。
(4)在村地主の範囲は農地のある市町村に在住する者だけで、地主の保有面積の計算は個人単位でなく、世帯単位でなされることとなった。
(5)買収の基準日は、昭和20年11月23日現在にさかのぼることが出来るようになった。
(6)農地の売買、また貸し転用などには、農地委員会の承認、あるいは知事の許可を必要とする。
(7)農地改革に関する諸判定諸事務は、選挙によって選ぱれた農地委員会が行ない、その構成を地主3、自作2、小作5とし(それに中立委員が全委員の同意で加わることもある)第1次改革より、小作代表の比重が高められた。
(8)残存する小作地の小作料はすべて金納化され、田では収穫物の価格の二割五分、畑では一割五分が最高小作料と定められ、また小作契約も以前のように口約束でなく、文書化するようになった。
(9)農地売却者から申請があったら、反当り田は220円、畑は130円の保証金を北海道は12町、都府県で平均3町(本県は1町9反)を限度として報償金を交付する。

農地改革記念碑
農地改革記念碑
この農地改革は市町村と県段階に農地委員会をつくり実施にあたったが、昭和22年1月8日全国市町村に農地委員会委員の選挙があり9日に当選者の発表があって農地委員会が発足した。又県農地委員会は2月23日より発足した。農林省では改革実施に当って先づ買収予定面積を200万町歩と定め、各都道府県別にこれを昭和23年12月31日までに買収、売渡を完了するよう発令したが僅か2か年の期間でこの事業は終るものではなかった。買収に当っては農地台帳を作成することとしたが、197万6,388に及ぶ農地を一筆調査しなければならなかった。しかし調査日時や経費に制限をうけ、調査に当った農地委員及ぴ補助貝の苦労はたいへんなものであった。高知県では16回に及ぶ買収で買収総面積13519.5町歩となり、ほぽ当初の目標面積を確保することが出来た。
宿毛市では買収は25年までにほとんど終了し、残余のものは引き続き買収売渡された。この改革により小作者は労せずして田畑を取得することが出来たが、地主は強制的に土地を手放されることになり、今までのような特権的な地位を捨てなくてはならなくなった。この農地改革は大いに農村の民主化を促進し、今まで小作者として苦労してきた人々は、生産意欲を燃し戦後復興に大いに役立つものがあった。

   買収前の宿毛市内町村別農地面積
旧町村名 自小作別内訳
自 作 地 小 作 地
宿 毛 568.0ha 184.7ha 752.7ha 547.5ha 205.2ha
小筑紫 197.3ha 133.0ha 330.3ha 221.0ha 109.3ha
橋 上 114.6ha 125.6ha 240.2ha 184.8ha  55.4ha
平 田 290.9ha  57.6ha 348.5ha 212.9ha 135.6ha
山 奈 316.2ha  53.5ha 369.7ha 185.2ha 184.5ha
沖の島  0.5ha 72.2ha 72.7ha 67.9ha  4.8ha
 1487.5ha   626.6ha  2114.1ha  1419.3ha   496.8ha
   農地買収面積(売渡面積も同じ)
旧町村名
宿 毛 158.4ha  40.9ha 199.3ha
小筑紫 38.5ha 14.2ha 52.7ha
橋 上 22.1ha 22.9ha 45.0ha
平 田 112.1ha  19.1ha 131.2ha
山 奈 134.2ha  30.9ha 165.1ha
沖の島 0.1ha 3.4ha 3.5ha
  465.4ha   131.4ha   596.8ha
   農地を買収された地主の戸数
      5反未満 5反以上
1町未満
1町以上
3町未満
3町以上
5町未満
5町以上
10町未満
10町以上
50町未満
宿 毛 町 個人地主 在村 38 172 225  446
不在 54 19 78
法人団体 在村 11
不在
小筑紫町 個人地主 在村 89 99
不在 42 48
法人団体 在村
不在
橋 上 村 個人地主 在村 41 64 14 119
不在 29 12 48
法人団体 在村
不在
平 田 村 個人地主 在村 81 55 59 202
不在 119 10 137
法人団体 在村
不在
山 奈 村 個人地主 在村 82 17 117
不在 56 10 79
法人団体 在村 10
不在
沖の島村 個人地主 在村
不在 45 46
法人団体 在村
不在
個人地主 在村 331 317 308 17 983
不在 345 50 30 436
法人団体 在村 12 31
不在
   農地の売渡しを受けた農家数
旧町村名 町村内居住者 町村外居住者
宿 毛 881 888
小筑紫 291 298
橋 上 277 277
平 田 345 345
山 奈 503 23 526
沖の島 72 72
2,369 37   2,406

市町村農地委員会
農地委員会の制度は昭和13年に制定された農地調整法で自作農創設維持、小作関係の調整、農地の交換分合その他農地に関する事項を処理する機関として設けられ昭和20年の一次・二次改正で民主化が促進され、委員会活動が公正に推進されることとなった。また委員会の種類も今までの市町村農地委員会、都道府県農地委員会に中央農地委員会が加えられた。
農地委員会は小作(1号階層)地主(2号階層)自作(3号階層)と3つに分かれた職能委員と中立委員で構成された。(中立委員をいれてない所が多い)委員の構成は原則として地主3人、自作2人、小作5人、計10人であるが特別の町村に対しては委員の増加を認めた。
(宿毛町は町村合併により地域が増大したので小作7、地主4、自作3、計14名である)
第1回市町村農地委員会の選挙は21年12月25日全国一斉に実施されたが、高知県では実施直前の12月21日南海地震があり混乱したが一部町村を除き滞りなく実施された。宿毛市内旧町村に於ても小筑紫を除く全町村で実施された。小筑紫村は候補者が定員に満たなかったので、22年1月10日に再選挙が行われた。
第2回農地委員選挙は24年6月20日公布の農地法の改正により8月18日全国一斉に行われたが、委員定数が小作2人、地主2人、自作6人の計10人となった。宿毛の場合も14人が10人と変更になっている。