宿毛市史【近代、現代編-農業-農地改革】

平田町農業協同組合

平田町農業協同組合
平田町農業協同組合
平田町農業協同組合は、大正元年有志により設立準備がなされ、平田村一円と芳奈の一部の者で大正2年9月19日平田村信用販売購買組合として設立された。設立当時の組合員数は299名で出資総額は2,990円であった。
当時は事務所に戸内の民家を借りていたが、その後現在地に新築移転した。昭和初期にい草を岡山より導入し、幡多郡でのい草栽培の先駆となり、い草の取扱いもするようになった。6年頃には利用事業として精米も行なわれていたが、当時の組合事務職員は組合長の外、事務(信用を含む)員3名、店員(購買員等)2名、精米製粉係員3名であった。10年倉庫を新築し倉庫事業を始めるようになった。
昭和16年生活必需物資統制令により主食の集荷を行ない、統制物資の配給等も行なわれるようになり、19年には平田村農会と統合して平田村農業会となった。22年に農業協同組合法が公布されたことにより23年には農業会が解散となり、6月25日平田村農業協同組合が設立された。
戦前は米麦甘藷等の外、い草も取り扱っていた。購買部門としては日用雑貨、肥料、農薬などを取扱っていた。
26年頃購買態勢を強化するため、西部支所を寺尾においた。昭和29年市制施行に伴ない宿毛市平田町農業協同組合となった。32年新農山漁村建設総合対策の線に沿って有線放送事業を開始し、農協と各部落の連絡を密にした。
戦後は米や麦などの取り扱いの外、購買部門としては、日用雑貨、肥料、農薬を供給し畳表の販売、精米製粉などの利用事業を行なった。40年よりハウス園芸もとり入れ45年度から宿毛市新田にある共同集荷選果場を通じて出荷を行なっている。49年に行なわれている事業内容は、営農指導、信用、共済、購買、倉庫営業、加工利用である。
営農指導は米とい草並びに加工、米と野菜、米と酪農、米と小養豚、米と花木苗木等の複合経営を指導し、購買事業は生産資材並びに生活消費資材の取扱いをしている。49年度の購買品供給高は8,230万円で、うち農薬肥料飼料39%、飲食20%、雑貨18%、燃料16%、農業資材7%となっている。
平田町農業協同組合は市内唯一の単一組合で、小島雄次組合長の下に農家の力を結集し農業経営と生活の合理化等に力を尽し、進歩の著しい現代社会に対応すべく努力している。