宿毛市史【近代、現代編-林業-明治以後の林制】

明治以後の林制

廃藩置県後政府は地租改正に伴って林野についても官有民有区分をはっきりさす必要にせまられた。家掛山などのように権利関係がはっきりしているものは地券を発行して個人所有としたが、野山などのような入会地は官民どちらに所有権をもたすかは極めて困難であったが、野山は大部分村の共有山として残された。明治22年の市町村制施行により政府は新編成の町村をもって行政上の単位としたので、従来の村々は単に一部落となって全く法人としての作用をしなくなった。そこで野山をそのままの形でおくことはできなくなり、明治43年内務・農商務両省の勧誘によって、部落有林野統一整理を行なうことになった。そこで部落は、部落所有であったものの何割かを町村に寄付(土地の寄付が出来ない部落は現金を寄付)した。そして残りの土地は全部何某外何名持と変更登記をしたが、後には分割登記されたり、一括して売られたりして、個人持となったものが多い。
部落有林野統一整地において生じた町村有林野には、各町村によって面積などに差が多く、宿毛市制施行の際、平田・山奈地区などはこれを期に、再整理がなされている。
市制施行になるまでの町村の村有林の面積は宿毛283・8町歩、小筑紫134・9町、平田553町(外に地上権地309町歩)、山奈558・1町歩である。橋上、和田は不明。この部落有林野統一整理は従来の入会山を特定の人たちの山としたので、部落民は自由に利用することができなくなり、肥料としてのかしき刈りなども制限され、農民は肥料を購入することとなって商品経済の中にまきこまれていった。