宿毛市史【近代、現代編-水産業-恵まれた宿毛湾】

恵まれた宿毛湾

宿毛市にとって水産業は重要な産業であるが、これは波が静かで魚の豊富な湾を控えているからである。
宿毛湾における漁業は、湾口に沖の島、姫島、鵜来島などがあって波が静かな上に、湾が豊後水道の入口にあること、沖の島沖を黒潮本流が流れていることと切っても切れない関係を持っている。

豊後水道の海流
湾の漁況は、黒潮本流と豊後水域の海流に支配されることが多い。
豊後水道の海流は、黒潮本流(主軸)が離岸したり接岸したりする事によって大いに変化する。黒潮の流れは、年により季節によって違うが、本流が足摺岬の南方32キロメートルないし64キロメートル付近にある時は、瀬戸内海より南下する潮の流れが、大分県北部から宿毛湾方面へ南下してくる。
一方黒潮よりの分枝流は、宮崎県沿岸寄りに北上する。この現象は春に多い。この分枝流が強くなると豊予海峡付近で、南下流は潜流となって南下し、沖の島付近でわき上がり、黒潮との間に潮目を作ることが多い。この現象の現われるのは主に秋である。また黒潮本流が、足摺岬南方32キロメートル付近にある時は、分枝流は宿毛湾沖から愛媛県側に沿って北上する。この際の南下流は宮崎県側で強い。この型が標準的な型で、特に秋に多いと言われている。 更に黒潮本流が16キロメートル付近まで接岸すると、分枝流は豊後水道中央部を強い勢いで北上する。反対に南下流は弱くなる。このようなことは夏季にまれに起きることがある。
秋は黒潮分枝流が、沖の島周辺から、愛媛県側に沿って流入する場合が多く、その際南下流は大分県側を通る場合が多い。
冬は北西の季節風が強いため、大分県北部から沖の島周辺に達する南下流が強くなるが、黒潮本流が離岸するので分枝流の流入はほとんどなくなる。                           (大分県水試調査研究報6号による)

宿毛湾への影響
豊後水道がこのような流れをしているので、湾内の海流も黒潮主軸が接近するか離岸するかにより、黒潮本流よりの分枝流や、瀬戸内海よりの南下流が湾内奥深く流入することがある。このため外洋性の魚も湾の奥深くまで回遊し、明治から大正にかけては、大島から宇須々木沿岸、外ノ浦、大海沿岸まで、いわしやさば、きびなごが回遊してきた。大島付近でも、明治40年頃まで松田川川口に面した大島橋より3、400メートル南方にある荒神網代あじろで、あじやいわし、きびなご、かます等が捕れたという。しかし大正の終りから昭和にかけてだんだんこれらの魚が来なくなった。ただ栄喜だけは終戦後まで鰹などが回遊し、昭和23年に栄喜漁業組合の前の網代に、ハツ(まぐろ)が群をなしてかかったことがある。

マグロ等の回遊してきた栄喜湾 きびなごなどの産卵場所、長崎鼻付近
マグロ等の回遊してきた
栄喜湾
きびなごなどの産卵場所
長崎鼻付近

沿岸漁業の衰退と原因
右のようなことから宿毛湾は昔からたいへん魚に恵まれた湾であったことが分るけれど大正の終りから昭和の初めにかけてこれらの魚はだんだん遠のき、養殖等で海の汚染が進んだので、現在はそのようなことが昔物語りとなってしまった。
これらの原因としてまず考えられることは海底の変化である。これがはっきりと表われた例は、大正9年の水害以後でそれまで大海や外ノ浦の海岸付近を産卵場所としていたきびなごなどが産卵に来なくなったことである。これは洪水により流出した土砂が海岸を埋め、産卵環境を破壊してしまったことに原因があったと思われる。
大島のえぼしあじろは明治40年代には深さが約14メートルあったのが、昭和の初めには約10メートルとなっていたということから考えても大量の土砂の堆積があったことがわかる。
魚は一般的に海底に起伏があり、海藻等が繁茂し、潮流の変化が多い所に集るのである。このような所はプランクトンが発生し、小魚の生息場所として適しているので小魚が多く集まるから、これを追って他の魚も集るのである。
宿毛湾は前記のように、海底に起伏が多く、潮流に変化も多いので魚のよい生息環境にあったのが、土砂の流入によって海底が埋没し、環境が悪くなったのである。
また魚は潮流や海流の影響を受けながら群をなして移動しているものが多いが、網代あじろは大抵魚の通り道にある。その網代に回遊して来るまでに魚を沖合いで捕獲すると、魚は逃げ散って岸辺に近づかなくなるのではないかと考えられる。
明治の終りから大正にかけて宿毛湾沖合いで操業した愛媛県のいわし網の進歩は著しくいわし網は豊漁続きであったが、宿毛湾沿岸の定置網は不漁となった。このことにより高知県漁民は愛媛県のいわし網の影響のあることを悟り、この頃よりいわし網排斥運動がおこった。この問題は引き続き現在も入漁協定締結の度ごとに問題となっている。

恵まれた漁場沖の島海域
沖の島全景
沖の島全景
沖の島付近は豊後水道の海流の所で述べたように潮目が出来安い。潮目には魚が集まるのでしたがって沖の島、鵜来島周辺は好漁場であることがわかる。特に沖の瀬海域は好漁場として知られ、愛媛県との入漁協定の度に紛争の種となっている。
又沖の島海域は海底に起伏が多く、浅瀬も多い上に潮の流れもよいので、いそ魚がたくさん生息し、昭和40年頃よりいそ釣りブームの波に乗り、いそ釣のメッカと云われ京阪神等を初め、県外客の来訪が多い。