宿毛市史【近代、現代編-災害-風水害】
風 水 害
高知県は北に四国山脈が東西にはしり、標高千メートル以上の山岳が多く起伏しており、南は黒潮の流れる太平洋に面しているので降水量は多く、気候は温暖であり、農業、林業、漁業等に恵まれているが反面台風銀座の異名があるほど、8月、9月には台風の通路になり、毎年といってよい位、風水による災害を受けている。
高知県を襲った主な風雨、台風を『高知県災異史』(日本気象会高知支部刊)によってしらべて見ると、宝亀8年(777)7月から明治13年(1880)8月まで約千年の間に180回(記録に残っているもの)明治15年(1882)以降の気象観測資料(高知測候所の創立は明治14年12月)によると、昭和41年迄の84年間に台風は123回に及び、毎年洪水、風波による被害を高知県各地で受けている。その中で主要な台風による災害を拾って見ると次のとおりである。
主要台風
年 月 日 |
種 別 |
概 況 |
明19・9・10 |
台 風 |
豊後水道を北上隠岐へ抜け、被害も全県下に及ぶ、中村で住家倒壊9、流失4、
大破22、諸作物被害甚大 |
明23・9・11 |
台 風 |
九州、四国を横断した台風、高知県の降雨激しく、死者213、不明3、各地で
洪水の被害あり |
明32・8・28 |
台 風 |
宿毛市から四国を斜断した、同年7月の台風と合せて高知県では死者36、傷者
63、家屋全壊2064棟 |
大 元・8・23 |
台 風 |
土佐沖から夜須町に上陸、北進、県下東部は強風・高潮により安芸郡下で死者
33、家屋全壊1854棟 |
大 3・9・14 |
台 風 |
土佐清水沖で転向して上陸、神戸へ抜ける。
死者8、傷者17、家屋全半壊2057、幡多全域で被害を受ける |
大 9・8・15 |
台 風 |
土佐湾を西北進して足摺に上陸、県西部の被害甚大
死者187、家屋全半壊2424(別項参照) |
昭 9・9・21 |
室戸台風 |
奈半利町に上陸した912ミリバールの大型台風、この台風による被害は全国各
地に及び、高知県でも死者122、傷者508、家屋、船舶の被害甚大 |
昭10・8・28 |
台 風 |
土佐清水付近から上陸したAクラス台風、洪水は明治23年以来といわれた。
死不明者16、傷者117、家屋全半壊659 |
昭12・9・11 |
台 風 |
土佐湾沿いに北東進した強台風、
死者10、傷者16、家屋全半壊306 |
昭16・8・15 |
台 風 |
四国沖から安芸付近に上陸、米子に抜けた。この年の7月25日豊後水道を北上
した台風と合わせて死者11、家屋全半壊16 |
昭18・9・20 |
台 風 |
土佐清水に上陸した強台風、西日本で死者768、不明202 |
昭20・9・17 |
枕崎台風 |
鹿児島県枕崎に上陸して米子に抜けた台風、
県下の被害、死者11、不明6、家屋全半壊2291 |
昭21・7・29 |
台 風 |
豊後水道を通過、960ミリバール、幡多郡で大洪水、仁淀川もはんらん、
死者18人、床上浸水3570、橋りょう流失30 |
昭25・9・13 |
キジア台風 |
九州を縦断、県下は南よりの風強く、山間部豪雨、中村は泥海中の孤島となる。
死者7、傷者1、家屋全半壊176 |
昭26・7・ 1 |
ケイト台風 |
宿毛・清水間に上陸、976ミリバール、大雨による被害大
死者1、傷者4、家屋全半壊188 |
昭28・9・25 |
テス台風 |
四国南方海上を北北東進、県下の被害、死者1、傷者4、家屋全半壊166 |
昭29・8・18 |
グレイス台風 |
九州上陸後、豊後水道を経て、宿毛と宇和島間に再上陸、四国を横断した。
死者4、傷者6、家屋全半壊26 |
昭34・9・26 |
伊勢湾台風 |
室戸岬南を経て紀伊半島に上陸した。高潮害が加わり被害甚大
県内死者4、傷者78、家屋全半壊172 |
昭36・9・16 |
第2室戸台風 |
室戸岬に上陸、海岸沿いに北東進した最大級の台風
死者2、傷者78、家屋全半壊305 |
昭38・8・ 9 |
台風 9号 |
四国南方海上を北北西進して大分県佐伯市付近に上陸、豪雨をもたらし、
死者15、傷者21、家屋全半壊流失286
中村、須崎など14市町村に災害救助法が適用された。 |
昭39・9・25 |
台風20号 |
大隅半島に上陸後、宿毛市北方に再上陸、四国中央部を北東進、死者3、傷者49、
家屋全半壊2413、宿毛市で最低気圧965ミリバール、最大風速35・3メートル、
高知市、土佐清水市など24市町村が災害救助法の適用をうける。 |
昭45・8・31 |
台風10号 |
幡多郡佐賀町付近に上陸、四国西部を縦断した。猛烈な風雨と浸水で県下各地に
大きな被害をもたらす。死不明者13、傷者500、家屋全半壊18,000、高知市、
土佐市、南国市など26市町村に災害救助法適用、激じん災に指定される。 |
昭47・7・23 |
台風 9号 |
豊後水道より大分県佐伯市へ上陸、風雨共に激しく各地に被害をもたらす。
(別項参照) |
昭50・8・17 |
台風 5号 |
午前8時50分宿毛付近に上陸、伊予灘に抜ける。幡多地方を中心に猛威をふる
う。集中豪雨のため仁淀川がはんらんし、各地で山崩れや水没相つぎ、死、不明
者77名の災害となる。宿毛市を含め19市町村が災害救助法の適用を受ける。
(別項参照)
|
大正9年の災害
宿毛付近はたびたび台風の上陸地点になり、その都度被害を受けているが、なかでも大正9年8月15日の台風による被害は全県下1市7郡に及び死者187人、家の全半壊2484戸、その他洪水による土木、農産物関係の被害を出したが、特に宿毛付近の被害は甚大であった。
その時の模様については連日高知新聞、土陽新聞で報道され高知県はもとより、全国各地よりの救援活動が行なわれ、天皇陛下よりも御下賜金(幡多郡配当1827円12銭)の沙汰があった程である。
この台風は、ゆっくり土佐湾を北西進して足摺から上陸、豪雨を伴い山間部では3日間に1000ミりを越えている。この時の模様は『幡多郡青年読本』(教科書)には次のように掲載されている。
「大正9年8月13日、天候何となく不隠の兆があった。午後4時頃から小雨を催したけれどもまだ河水の増すほどの事もなかったが、翌14日になって俄に大雨となリ、雷鳴も亦之に伴った。併し西風が交っていたから或は天候の回復する事もあろうかとの望もあったが、意外にも雨は益々度を加え、所謂沛然として盆を覆すような豪雨となり、雷鳴また更にこれに加わって、愈甚しく、日から夜にわたって降リに降リ鳴りに鳴った。
聞くところによるとこの日の雨量実に403ミリを算し、各河川硲谷の増水甚しく、明治19年以来稀有の大水であったということである。
この大雨のために北幡地方を除く他、佐賀村以西宿毛町に至る県道沿線一帯の地と、其の南部地方とは洪水に加えて未曾有の山崩をなし、為に田畑、住家、道路、堤防の流失、埋没、倒壊、決壊を来し、人畜の死傷、農作物の損害等あらゆる惨状を呈した。就中佐賀、八束、伊豆田、三崎、下川ロ、小筑紫、宿毛、和田、橋上等の諸村は其害の最たるものであった。
之等の地方は田地の浸水、埋没のため、稲作は約三分作と称するさえあって、郡内各町村を通じて、平均約四分の減収であったということである。こんな有様であったから、当時町村によっては食糧不足のために、非常なる困難を来した向もあったが、愛媛県方面からの移入と郡内相互需給の便を講じたことによって、一時の急を救い得た。けれども非常なる農作の減収と、甚だしい災害の瘡痍とのために、一般が不安の念に駆られて、食糧の前途に就いて尚一段の講究を要するものがあったのに、被害地方の道路は破壊によって交通杜絶の状態にあったから、先ず之等交通機関の復旧を急ぐ要があリ、少くとも車馬を通じ得る位の程度には速かに修築せねばならぬので当局は特に意をここに注いだ。
就中県道宿毛線は本郡物資供給の幹線であるから特に之が修築を急いだ。
堤防の決潰に至っては殊に甚しく、河川の両岸は到る処崩壊して復旧の容易ならぬのが多く、町村によっては偶々県の補助を申請しようとするものがあっても、自己の負擔力を憂えて容易に決し得ないものもあったが、中には此際耕地整理によって河川の変更をしようとするものもあった、要するに堤防の復旧は正に急務中の急務であった。
以上に記したのは主に地理的の変動てあるが、尚此他に人事上更に悲惨な記録のあることを忘れてはならぬ。即ち或は懸崖が崩れかかって家屋を人諸共に埋め、或は堤防が決潰して漫々たる激流は家を漂わし、人を溺れしめ、親は子を救うに遑なく、夫は妻を助くるに術なく、暗中悲鳴の声は雨声と相和して槍まじく、辛じて身を以て免れたるものも、着のみ着のままで、忽ち其日の生活に困ったものも多かった。之等の者に対しては知ると知らざるに論なく、遠近の人々の義捐によって一時の急を救い、又畏きあたリからは御下賜金の御沙汰さえあったことは吾人の記憶すべきことである。」
なお、この台風時の宿毛町内の状況については、浄土寺の過去帳に当時の住職山本良随氏の記録か残されている。
記録や古老の話によると、8月14日(旧7月1日)午前5時より降リはじめ、7時頃には風が加わり15日午后には豪雨となり、5時頃需が鳴りはじめ盆をかえすような降雨であった。7時頃には濁水が河溝に溢れ、山崩れかはじまり交通ができなくなった。9時頃松田川が氾濫し橋が流されはじめ、水と流木のため松田川新地(現大井田病院付近)の堤防が決壊し、百々鶴楼外四楼が瞬間に流失し、濁流が宿毛町内全域に渦を巻いて流れ込みそのため家屋の倒壊、流失、浸水が相次いだ。
浄土寺(当時宿毛劇場東隣)も本堂が床上三尺程浸水し、伊賀男爵邸へ避難した。この水害で宿毛町では多くの死者を出したとあり相当の被害を受けたことがわかる。
大正9年9月9日(木曜日)の土陽新聞に当時小筑紫村役場書記永富久米次氏談として、「山崩れから這出て九死を脱した小筑紫村書記」と題した記事がでているが、要約すると15日夜宿直で山崩れに遭い、役場の建物といっしょに生き埋めになった。
その時片手片足を骨折したが、なんとか抜けだしやっとの思いで半町ばかり先の丘へ避難した。よく見ると肩の骨も抜けていた。医師に見てもらおうとしたがその医師もやられており、宿毛に行くにも交通が杜絶しており、5日5夜苦痛をこらえ宿毛で診察を受けたとあり、また、同地郵便局長栗生慶作氏の家も村内きっての富豪であったが、田畑、家屋敷、家財一切を流失して無産同様となり、外米を買って生活しているとあリ、当時の惨害を推測することができる。
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台風進路(大正9年) |
災 害 復 旧 費 |
|
金 額 |
土木復旧工費 |
6,945,236円 |
耕地復旧工費 |
4,997,759円 |
其他復旧工費 |
1,351,940円 |
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農作物の被害状況 |
種別 |
被害反別 |
被 害 高 |
田 |
4,725町 |
2,210,100円 |
畑 |
1,434町 |
271,957円 |
桑園 |
239町 |
6,398円 |
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大正9年幡多の洪水 (幡多郡青年読本) |
浄土宗過去帳 |
罹災救済義金募集 |
水害ローマンス (土陽新聞) |
大正9年の水害による被害表(幡多郡誌による)
町村名 |
人 |
畜 |
家 屋 |
堤 防 |
道 路 |
橋梁
流失 |
田畑
被害 |
県救助金 |
災害下賜金 |
死 |
傷 |
死 |
全壊 |
流失 |
其他 |
決壊 |
延長 |
決壊 |
流失 |
延長 |
人 |
人 |
人 |
戸 |
戸 |
戸 |
ヶ |
間 |
ヶ |
ヶ |
間 |
ヶ |
町 |
円 |
円 |
宿毛町 |
42 |
|
7 |
7 |
29 |
79 |
18 |
3,339 |
4 |
210 |
3,495 |
26 |
136 |
241,600 |
320,800 |
和田村 |
16 |
7 |
|
15 |
7 |
|
22 |
2,090 |
30 |
50 |
7,080 |
25 |
422 |
692,620 |
137,820 |
橋上村 |
1 |
3 |
|
24 |
10 |
|
20 |
1,500 |
一円の被害 |
10 |
83 |
488,520 |
36,520 |
平田村 |
|
|
|
7 |
6 |
|
10 |
1,000 |
5 |
10 |
600 |
11 |
261 |
654,960 |
23,840 |
山奈村 |
2 |
1 |
1 |
10 |
7 |
20 |
20 |
3,600 |
|
25 |
130 |
18 |
315 |
349,680 |
44,220 |
小筑紫村 |
31 |
9 |
|
74 |
|
|
77 |
1,851 |
211 |
|
12,960 |
5 |
222 |
2,441,460 |
290,420 |
沖の島村 |
|
|
|
2 |
|
8 |
|
|
|
|
|
|
3 |
|
4,530 |
昭和10年8月の台風の災害
8月28日15時土佐清水付近から上陸したAクラス雨台風、最低気圧718ミリ。前日より2日間の雨量は宿毛381ミリ、中村240ミリ、田野々659ミリ、最高水位は渡川(具同)で11・34メートル。明治20年以来の大洪水で中村は全町水没、罹災世帯1650、7243人に及んだ。
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台風進路図 昭和10年 |
昭和47年台風9号の災害
台風9号は7月23日に豊後水道より大分県佐伯市の方へ抜けた台風で、宿毛測候所での観測によると最低気圧985・3ミリバール、瞬間最大風速48メートル、総雨量289ミリの雨、風共に強い台風であった。
そのため宿毛市では重傷1名、軽傷3名、家屋全壊6棟、半壊52棟、一部破損371棟、床上浸水349棟、床下浸水754棟、特に各河川のはんらんがひどく、橋りょう流失28、その他農林、水産関係にも大きな被害をだした。
昭和50年の台風5、6号の災害
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台風進路図 5号・6号 |
8月12日グアム島の西約400キロの海上に発生した台風5号は、16日21時には室戸岬の南約250キロにあって毎時15キロの速さで北または北北西に進み、中心気圧は950ミリバール、最大風速は40メートル、中心から東側230キロ、西側140キロでは25メートル以上の暴風雨圏をもった大型の台風となり、17日8時50分宿毛市付近に上陸し、周防灘を経て徳山市に再上陸して日本海へ抜けた。
この台風のため高知県は、17日未明から足摺、室戸の両岬を中心に風雨が強まり、夜明けから上陸地点周辺の幡多地方で平均25メートル以上の暴風雨となり、高吾北地方や須崎市、土佐市など県中央部を中心に、東部山間部にもすざまじい豪雨をもたらし大きな被害を出した。
さらに8月22日には、台風6号が室戸岬の東海上を北々東に通過したため、再び県下に大雨をもたらし、台風5号による災害応急対策に着手直後の被災地は二次災害を被り、その被害は益々増大し、災害救助法が適用された。
以上のように豊後水道や幡多地方付近を台風が通過しており、特に戦後、山林の乱伐によるてっぽう水や崖くずれ、また市街地の埋立により遊水地帯が少なくなり、そのための浸水、養殖漁業が増水によって被害を受ける等、被害額も年々大きくなっている。
市としても片島や山田に停電の際も使用可能の排水ポンプの設置や、下本町に大型排水溝を作って浸水被害の防止や、松田川堤防の補強等に努めており、緊急災害に備えての防災救助計画も作成され、自然災害の防止に努めている。
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昭和50年台風5号 |
昭和50年台風5号 (宿毛大橋付近) |
昭和50年台風5号・6号による 災害救助法適用市町村 |
昭和50年台風5号・6号被害総括 |
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県 下 |
宿 毛 市 |
人 的 被 害 |
329人 |
15人 |
死 者 |
72人 |
1人 |
行方不明者 |
5人 |
0人 |
重 傷 者 |
91人 |
2人 |
軽 傷 者 |
161人 |
12人 |
家 屋 被 害 |
49,444棟 |
3,201棟 |
住 家 |
45,785棟 |
2,441棟 |
全 壊 |
679棟 |
16棟 |
半 壊 |
1,481棟 |
95棟 |
一部破損 |
11,327棟 |
1,787棟 |
床上浸水 |
12,564棟 |
74棟 |
床下浸水 |
19,734棟 |
469棟 |
非 住 家 |
3,659棟 |
760棟 |