宿毛市史【近代、現代編-民政-水道】

水 道

水道の沿革についてはさだかではないが、従前は流水の利用もあり、井戸を掘り釣瓶によつて汲みあげてもいた。隣近所が1か所の井戸を共同で使用し、朝夕の炊事時に主婦達が井戸で顔を合わし世間話しをしていた。これが俗に言う井戸端会議であり、社会教育の原点がここで生まれてもいた。人間の智恵と創意工夫により、釣瓶が手押しポンプになり、自家用電気ポンプ、水道へと移り変わってきている。
水道の区分は給水人口が対象であり、それぞれ次のように区分される。
  人口 100人未満       飲料水供給施設
      101人~5,000人  簡易水道
      5,001人以上     上水道

手押ポンプ くみあげポンプ(電気) つるべ
手押ポンプ くみあげポンプ(電気) つるべ
宿毛市での水道施設は宿毛町の上水道が昭和9年に着工し、同10年に完成している。この布設計画理由に
「高知県幡多郡宿毛町は四国の南端に位し、煙霞の如く九州を望み、風景絶佳水深き天然の良港を扣へ、海陸交通の関門に当り、定期汽船は其の数に於て其の噸数に於て県下第1位にして阪神及香愛2県九州、四国、朝鮮、満州等に直航又は連絡至便にして、帆船、発動機船、漁船輻輳し、又海軍軍艦飛行機の作業地となり、内務省乙種重要港及県費支弁港に指定せらる豈偶然ならんや。又一面陸には高知、清水、下川口、下之加江、下切に通する各既設県道全通し自動車又は車馬の幅輳頻繁を極む。
近く字和島、岩松、深浦に通ずる各道路の改修の暁は町の発展は勿論県西関門として、利用萬全を期すべきは論を侯たざる所なり。而して我宿毛町を工業地とせんか其の適当地、林新田ありて大工場設置の敷地を有し、石炭の産地九州は向岸にありて、運炭に便あるがため大商工業地として将来殷賑を極むる総て天然に其の素質を具備するは言を俟たず。然るに我が宿毛町の発展すべき土地は総て西南に延びつつあるが此の枢要なる地並に現市街地の中央より西南部は生活の必需の良水に乏しく、殊に片島、大島区に至リては全く水質の善悪を問はず、往々これが欠乏を告げ区民の苦痛を感じつつある惨状実に言語に絶す。為めに人口増加少く商工業振はず、殊に海軍の作業地となりて以来艦隊来航毎に飲料水供給を促さるるも僅々5、6噸程度の給水すら不幸これに応ずるに由なく天然の良港も如何ともなし能はざるなり。
然も一朝伝染病の発生を見又は失火の場合に想到せば其の惨状真に寒心に堪へざるなり。故に上水道布設に就ては全町民の切望抑圧し難きのみならず其の布設の成否は、町発展はおろか死活を左右する状態なるを以て、其の施設は緊急一日も忽かせにすべからず。依って種々調査研究の結果宿毛町大字宿毛常盤公園東南隅に鑿井用試掘を施したる處地質良好、湧出量豊富にして水質も亦優良なる成績を得たれば此所に鑿井を施し水源として完全なる上水道の布設を目論見宿毛町を給水区域として町民の保護衛生の改良を計り併て火災防止の設備をなさんとす。」
とあるが、当初の計画給水人口は6,000人を対象とし事業費は86,000円となっている。昭和10年当時の記録によると、水道係の事務員の月俸が40円、技術員は90円、工夫の日額が1円60銭であった。
上水道は以後5回拡張工事が施工されており、昭和30年頃から各地区に簡易水道が設置された。それら各地域の施行状況は次のとおりである。
宿毛上水道
宿毛上水道
        宿毛上水道
区  分 竣工年月 計画給水人口 計画一日最大給水量
創  設 昭10・11月 6,000人 810㎡
一次拡張 昭33・ 3月 12,000人 2,700㎡
二次拡張 昭38・ 3月 14,000人 3,600㎡
三次拡張 昭42・ 3月 14,000人 4,000㎡
四次拡張 昭44・ 2月 14,000人 4,000㎡
五次拡張 昭49・ 6月 14,240人 6,400㎡

        簡易水道
地    区 竣工年月 計画給水人口 計画一日最大給水量
藻    津 昭30・ 3月 450人 68㎡
大 深 浦 昭30・ 3月 205人 45㎡
中    角 昭32・ 3月 425人 54㎡
ニ ノ 宮 昭41・ 3月 350人 58㎡
山    北 昭49・ 3月 205人 31㎡
橋    上 昭34・ 3月 770人 106㎡
平    野 昭37・ 3月 130人 18㎡
神    有 昭37・ 3月 390人 59㎡
坂    本 昭40・ 3月 165人 22㎡
栄    喜 昭30・ 3月 1,000人 120㎡
小 筑 紫 昭29・ 3月
(44・3)
4,700人 880㎡
車    岡 昭40・ 3月 210人 64㎡
平    田 昭30・ 3月 2,156人 310㎡
芳    奈 昭32・ 3月 675人 84㎡
山    田 昭30・ 3月
(49・3)
2,410人 375㎡
母    島 昭35・ 1月 750人 113㎡
弘    瀬 昭36・ 3月 750人 113㎡
古 屋 野 昭37・ 3月 150人 23㎡
鵜 来 島 昭30・ 3月
(49・3)
450人 45㎡
長    浜 昭49・ 3月 160人 24㎡
             ※竣功年月の( )は、地区施工のものを市に移管した年月である