宿毛市史【近代、現代編-宿毛市年表-あとがき】

あとがき

宿毛市教育長 立道正晟
宿毛市教育長
立道正晟
宿毛市ほど明治維新以来多くの人材を出したところはない。
酒井三治などを中心とした維新前後の教育の力、明治戊辰の役への宿毛機勢隊の出陣、その後の中央での活躍、そうした歴史的背景と伝統から人材を多く輩出したものと思われる。
この宿毛の歴史を編さんしようという計画は、前々からあった。宿毛町時代にも計画されたが、それは成功せず、資料も残されていない。その後、昭和37年に橋田庫欣が「宿毛の歴史」を、更に翌38年に竹村照馬氏が「郷土資料宿毛市史稿」をともにガリ版で出し、宿毛の歴史への一応の方向づけはなされたのであったが市史と呼ばれる程のものではなかった。
宿毛市発足以後も郷土資料収集が計画されたが中途で立ち消えとなり、本格的に宿毛市史編さんが計画されたのは昭和46年のことである。
しかし、市史編さんは計画されたが、先ず最初に困ったのが執筆者の人選であった。竹村照馬氏亡きあと、郷土史を専攻している人がおらず、全く素人ばかりである。いっそ中央の郷土史家に執筆を依頼しようかということも考えられたが、郷土の歴史は、郷土の人で調査執筆し、地元の郷土史家を養成しなければならないと考え、素人ばかりでもよい郷土史に少しでも関心のある者が力を結集して編さんするということにし、編さん委員を委嘱した。
次の6人である。
石原小学校長橋田庫欣 (委員長)
栄喜小学校長岡野  巖
片島中学校長松尾静夫
宿毛小学校教諭高見繁数
旅館昭和館主津野松生
社会教育課長山本清義
このうち橋田、津野は郷土史的素養をいくらかはもちあわせていたが、其の他の人は郷土史には初めてとりくむ人ばかりであった。しかも大部分は公務員であり、その上費用の節約も考えて専任の職員をおかず、勤務の余暇を利用しながら作業をすすめることとした。
3か年で完成するという予定であったが、資料集め、古文書の読解に苦労し、宿毛市史の概要を把握するまでに多くの日時をついやし、3か年はまたたく間に過ぎてしまった。
昭和48年からは元大島小学校長大原計男を嘱託として編さん委員に加え、資料の整理にあたり、手際よく資料も整理され、作業はようやく軌道に乗っていった。しかし大原は途中病に倒れ、社会教育課長は山本清義から田増正之に変るということもあったが、休みなく作業は進み、次の分担で執筆することとなった。
考古編橋田庫欣
古代、中世編高見繁数
近世編(政治、文化)橋田庫欣
近世編(産業、交通)津野松生
同   (教育)大原計男
近代編(政治、軍事)松尾静夫
同   (産業、交通)岡野  巖
同   (教育)大原計男
同   (民生)田増正之
市政のあゆみ田増正之
記述の方針としては、一般の人々にも理解できるやさしいものとした。そして、専門家のための資料篇は別に出すこととし、まず通史の完成を目ざした。
編さん委員は、資料集め、資料の読解、その活用等、全く今まで経験したことのない仕事であったため、いたずらに時間を過ごし、やっと書き上げた原稿も読み合わせと討論のあげく、すべてを書き替えるということも度々行われた。
しかし全員一丸となって助け合い協力して不平不満をいうこともなく今日出版のよろこびを迎えることになった。
史料蒐集にあたっては、東京の伊賀、岩村、大江、竹内各家や防衛庁戦史研究所、宇和島の伊達家、一本松町正木の蕨岡家、高知県立図書館、高知市民図書館、高知大学図書館、県史編さん室、幡多郷土資料館、中村市立図書館、宿毛の妙栄寺や林家、沖の島の三浦、沢近、貝塚の浜田、小筑紫の山本家をはじめ、多くの方々から絶大なご協力を頂いた。中でも高知の五藤家よリ提供された宿茂絵図は、藩政初期の宿毛を知る上で最も貴重な資料であった。その上高知の平尾道雄、山本大、横川末吉、橋詰延寿、前田和男、吉村淑甫、岡本健児、広谷喜十郎、高橋史郎、廣江清、吉田萬作、中村の山崎進、上岡正五郎、中平満州、木村剛郎、田中一利、地元の林道太郎、大井田正行各氏をはじめ多くの人たちに資料の提供と指導助言をいただき、また幡多教育事務所長平野稔氏には特別の配慮をわずらわした。ここに記して厚くお礼を申し上げる。
また編さん委員の労苦に感謝し、心からなる賛辞をおくりたい。
この市史が宿毛市への理解と宿毛市発展のための何かの助けとなればまことに幸せである。

      昭和51年12月20日
宿毛市教育長 立道正晟
宿毛市教育長 立道正晟