それはそれはおそろしい大地震が、ある日のこと突然おそってきました。
里の家々もお寺もたおしました。遠くからおなかの中までひびく様な地鳴り(じなり)が伝わり、野原も畑もひび割れて来ました。
おそろしさと不吉な予感で、人々はなにもかもそのままに、無我夢中(むがむちゅう)で山の手に向かって走りました。
夜になっても青白い光が山の上に時おり流れるほどの大地震でした。
やっとのことで人々が小高い丘にたどりついたとき、はるか向こうの海の方からたてがみをふりみだした様に、なにかが広い広い手をひろげてこちらをめがけて駆けて来るのが見えました。
しばらくたつとそのたてがみは、山すそや丘のふもとをたたく様にしておし寄せて来ました。
それは荒々しい波頭(なみがしら)を振り立てた海の水だったのです。
押し寄せた水は、それきり引いてはくれませんでした。
大勢の人達が駆けあがってやっと命びろいをした丘は、それからのち、千御前(せんごぜ)の丘と呼ばれる様になったといわれます。
稲津の谷には、その当時のものではなかろうかといわれる石どうろうが、苔(こけ)むしたまま残っていたと聞きましたが、 その所在はつきとめることができないままでおります。
せんごぜの丘は、貝ヶ崎から藻津(むくず)に向う道中にある丘です。
千年以上の昔、この地方に大きな地震があったことはたしかな様ですが、本当にせんごぜの丘の名が生まれる様なことが起こったかどうかということは、さだかではありません。
今はもうあの世で静かにねむっておられるお年寄り達に聞いたお話です。