設置者:宿毛町有志
岩村三兄弟として知られる岩村通俊・林有造・岩村高俊が育った岩村英俊(礫水)邸跡に、明治42(1909)年には通俊像、昭和9(1934)年には高俊像が宿毛出身の彫塑家、本山白雲の制作で建てられました。字は通俊五男・通世の筆です。
本山白雲は東京・上野公園の西郷隆盛像などを作った高村光雲の門下生として木彫を学びました。後世にいつまでも残る作品を作るということを強く考え、伊藤博文や林有造、小野義真、板垣退助などの銅像を次々と制作していきました。
しかし太平洋戦争の開戦が迫る昭和16年に公布された金属回収令により、各地の寺の鐘や銅像が持ち出され兵器に作り替えられました。白雲の数多くの作品も例にもれず持ち出されていき、現在は桂浜の坂本龍馬像、室戸岬の中岡慎太郎像、高知城の山内一豊像などが残っています。
この追思の碑にあった通俊と高俊の胸像も戦時中の応召によりなくなってしまい、今は台座と胸像の代わりの追思の碑が設置されています。令和3年に岩村三兄弟の子孫による組織「菊一会」の主催したクラウドファンディング等を通じ胸像が再建されることとなりました。令和5年をめどに完成予定です。
(児童生徒向け)
宿毛出身の彫塑家(ちょうそか)、本山白雲(もとやまはくうん)が作った岩村通俊(いわむらみちとし)と岩村高俊(いわむらたかとし)の胸像が乗っていた碑です。
彫塑とは、塑像(そぞう)という粘土でつくった彫刻や銅像の原型となる像を作ることです。
白雲の代表作として桂浜の坂本龍馬や室戸岬の中岡慎太郎など。とても有名な銅像を作っています。
しかし、銅をはじめとする金属が少なくなったことを受け太平洋戦争前にはじまった「金属回収令」により、全国の銅像は回収されて戦争に必要な物資に作り替えられました。通俊と高俊の像もそのときに持ち出されてしまい、今は代わりの丸い石が置かれています。
岩村三兄弟の子孫たちがこの胸像を作り直そうとクラウドファンディングをして、令和5年ごろに新しく作られる予定です。
【歴史ふれあい広場内 他説明】