明治22年~昭和35年(1889年~1960年)
-吉田内閣副総理-
林譲治は林有造の次男で、戦前戦後を通じて中央政界で活躍しました。戦後、実父を宿毛にもつ吉田茂が第二次吉田内閣を組閣した際に副総理として入閣し、世間から「宿毛内閣」と呼ばれました。
その後も衆議院議長、自民党幹事長などを歴任し、昭和34年には衆議院議員在職25年の永年在職議員として表彰されました。
明治22年(1889年) 林有造次男として宿毛に生まれる
大正7年(1918年) 京都帝国大学独逸法律科卒業
大正12年(1923年) 宿毛町長就任
昭和2年(1927年) 高知県議会議員
昭和5年(1930年) 衆議院議員当選(それ以後昭和12年まで4回当選)
昭和21年(1946年) 戦後初の衆議院議員選挙当選(それ以後昭和37年まで7回当選)
第一次吉田内閣、内閣官房長
昭和23年(1948年) 第二次吉田内閣、副総理・厚生大臣
昭和26年(1951年) 衆議院議長
昭和27年(1952年) 自民党幹事長
昭和34年(1959年) 衆議院議員在職25年の永年在職議員として表彰
昭和35年(1960年) 死亡(71歳)