明治3年~大正6年(1870年~1917年)
-西洋美術の評論の草わけ-
岩村透は岩村高俊の長男で、18歳での渡米をはじめとして、欧州各国でも美術研究を深めました。
帰国後は、東京美術学校(現東京芸術大学)で美術史を指導したり、文部省美術展覧会の審査員を6年つとめるなど、日本の西洋美術発展に尽力しました。晩年は美術評論と講演、文筆活動をおこない、「美術と社会」などを残しました。
明治3年(1870年) 岩村高俊の長男として生まれる
明治21年(1888年) 米国留学ワイオミングセミナー美術科入学
明治23年(1890年) ニューヨーク・ナショナルアカデミー美術科入学
明治24年(1891年) パリ・アカデミージュリアン入学
明治26年(1893年) 明治美術会入会
明治32年(1899年) 東京美術学校・西洋美術史講師
明治34年(1901年) 東京美術学校・英語講師
明治40年(1907年) 文部省美術展覧会(文展)審査員
正6年(1917年) 死亡(48歳)