明治11年~昭和42年(1878年~1967年)
-内閣総理大臣・戦後復興の父-
宿毛出身の竹内綱の五男として東京で生まれ、3歳で横浜の実業家、吉田健三の養子となりました。東京帝国大学卒業後外務省に勤務し、各国の大使を歴任しますが、米国大使の時に日独伊三国同盟に反対して職を追われました。
戦後は吉田内閣を組織し、7年余の政権のなかで、新憲法の発布やサンフランシスコ平和条約締結など戦後復興の礎を築きました。
明治11年(1878年) 竹内綱の五男として東京に生まれる
明治39年(1906年) 東京帝国大学法学部政治学科卒業、外務省勤務
昭和3年(1928年) 外務次官
昭和5年(1930年) イタリア大使
昭和11年(1936年) イギリス大使
昭和14年(1939年) 日・独・伊三国同盟に反対、大使職を追われ帰国
昭和20年(1945年) 敗戦、外務大臣
昭和21年(1946年) 第一次吉田内閣、日本国憲法成立。以降7年余第5次吉田内閣まで組閣
昭和26年(1951年) サンフランシスコ平和条約
昭和42年(1967年) 死亡(89歳)