宿毛市

岩村 俊武

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岩村 俊武


正4位勲1等、功3級海軍中将の栄職にあった岩村俊武は、慶応2年8月27日、岩村通俊の2男として宿毛に生まれた。はじめ団次郎と称し中ころは教通と改め、大正4年7月より俊武と呼んでいる。

少年の頃から英才の誉が高く明治17年9月、海軍兵学校に入学したが、その成績は抜群で、同20年7月に同校を卒業し、直ちに海軍少尉候補生となった。

日清、日露の役には若き海軍として縦横の活躍をしている。特に彼は水雷艇による攻撃の戦術戦略については特別に秀いで、日清戦争でも特に名高い威海衛攻撃には海軍大尉で水雷艇長として出陣し、偉勲をたて功5級金鵄勲章を賜わっている。

その後累進して大正6年12月1日海軍中将に任ぜられ、大湊要港司令官、海軍将官会議々員等要職を歴任し、同10年4月1日予備役を仰せつけられ、正4位に叙せられた。

退官後は悠々自適、郷里宿毛に帰って、片島の丸島に草庵を結び、名付けて慶虎亭と称えて、広く郷土の知人、友人と交わっていたが、数年にして再び東京に転居し、その後病を得て、昭和22年3月21日に歿した。享年78才、東京多摩墓地に葬られている。

夫人は香川敬三の3女雪子で、彼との間に英武、和雄の2男を挙げている。維新の動乱以来、輩出した幾多先輩の中には、かつては軍事上の要職に就いた方も多いのに、いづれも官界、政界、財界へと進まれ、将官にまで栄進されたのは彼1人であることに淋しさを感ずると共に、実力にてこの地位まで進んだ彼に万腔の敬意を表するものである。以下輝かしい彼の軍歴を詳記する。

明治17年9月4日 海軍兵学校入学。
明治20年11月25日 同校卒業、海軍少尉候補生に任ぜられ、軍艦筑波に乗船、同年9月4日抜錨、北米、メキシコ、パナマ、タヒチ、ハワイを経て、21年7月6日帰朝。
明治22年10月1日 海軍中尉に任ぜられ、赤城航海士兼分隊士に補せらる。
明治24年7月23日 水雷術練習のため迅鯨乗組を仰せ付けらる。
明治25年5月9日 千代田艦分隊士に補せられ朝鮮沿岸巡航。
明治26年6月7日 佐世保水雷隊攻撃部付に補せられ、11月8日同艇長心得を仰せ付けらる。
明治26年12月13日 海軍大尉に任ぜられ、佐世保水雷隊攻撃部艇長に補せらる。
明治27年11月2日 常備艦隊付属第二水雷艇隊艇長に補せらる。
明治28年2月 威海衛攻撃に従軍、偉勲を樹て功5級金鵄勲章、勲6等瑞宝章を授けらる。
明治28年7月 佐世保水雷隊攻撃部艇長、第十九号艇長を命ぜらる。
明治28年12月 比叡水雷長兼分隊長に補せらる。
明治29年4月 高雄水雷長に補せられる。
明治31年3月 呉鎮守府水雷団副官に補せられる。同5月、呉水雷団第一水雷敷設隊分隊長を兼ねる。
明治31年4月 呉鎮守府参謀兼副官。
明治31年10月 海軍少佐に任ぜられ海軍軍令部第三局員。
明治32年2月 水雷艇陽炎受け取りの為、英国に出張を命ぜられ4月出発、33年3月5日帰朝。
明治33年5月 呉鎮守府艦隊参謀。
明治33年7月 横須賀鎮守府艦隊参謀。
明治33年8月 佐世保鎮守府兵事官。
明治33年12月 常備艦隊参謀、旗艦松島にて佐世保出発、北清回航。
明治34年5月 呉鎮守府艦政部員に補せらる。
明治36年4月 比叡副長に補せられる。
明治36年9月 海軍中佐に命ぜられる。
明治36年10月 千歳副長に補せらる。
明治36年12月 第三艦隊参加。
明治37年2月6日 より日露戦争に参加。
4月、竹敷発、海州に着、鳥海艦長代理として鳥海乗艦。
6月、旗艦日進に移乗、第三軍に連絡の為ダルニーに向って航行。
9月、春日副長兼第一艦隊参謀を命ぜらる。
明治38年4月 軍艦鹿島回航員を命ぜられ、英国出張を仰せ付けられ、ついで鹿島副長に補せられ、英国より航行、8月4日、横須賀着。
明治39年4月1日 日露戦争の功により功3級金鵄勲章、勲3等旭日中綬章を受く。
明治40年2月 干早艦長に補せらる。
明治41年2月 海軍軍令部副官、同9月、海軍大佐に任ぜらる。
明治43年12月 横須賀鎮守府付仰せ付けらる。
明治44年5月 吾妻艦長に補せらる。
大正元年8月 海軍少尉侯補生を乗艦させ訓練の為、仁川、大連、旅順、また、香港、シンガポール、メルボルン、シドニー、ブリスベン、セブ島、ウースン等を回航、大正2年4月、横須賀へ帰着。
大正2年5月 香収艦長に補せらる。
大正2年12月 海軍少将に任ぜられ、朝鮮総督武官に補せらる。
大正3年10月 海軍省出仕を命ぜらる。
大正3年11月 臨時青島要港部司令官に補せらる。
大正4年6月 第四水雷戦隊司令官に補せらる。
大正4年12月 第一水雷戦隊司令官。
大正5年9月 練習艦隊司令官に補せられる。
少尉候補生を乗艦させ、同年九州、支那、朝鮮沿岸巡航、翌6年、ハワイ、北米西岸、南洋諸島、香港、台湾等を回航。
大正6年9月 将官会議々員に補せらる。
大正6年12月 海軍中将に任ぜられ、大湊要港部司令官に補せらる。
大正8年12月 海軍将官会議々員に補せらる。
大正9年8月 本職を免ぜられ待命仰せ付けらる。
大正10年4月1日 予備役仰せ付けられ、続いて正4位に叙せらる。即ち海軍中将正4位勲一等、功3級瑞宝章に輝く35年の海軍生活に終をつげた。
岩村俊武 岩村俊武書
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