中村 重遠(なかむら しげとお)
天保11年~明治17年(1840年~1884年)
-姫路城を破壊から守る-
現在世界遺産にも指定されている姫路城が今なおその姿を残しているのには中村重遠が深く関わっています。
重遠は戊辰戦争に宿毛単独の部隊編成の責任者として従軍し、維新後も陸軍に所属しました。そして政府から姫路城、名古屋城の取り壊しの方針が出されると、保存の意見書を提出、その結果、この貴重な遺産が守られました。(名古屋城はその後空襲で焼失)
生い立ち
天保11年(1840年) | 宿毛大庄屋の家に生まれる |
慶応3年(1867年) | 日新館の操練指南役となる |
明治元年(1868年) | 松山城攻略、今市、安塚に戦う。戊辰の役、宿毛機勢隊を組織、北越に戦う |
明治2年(1869年) | 上京、兵部省勤務 |
明治5年(1872年) | 陸軍中佐 |
明治6年(1873年) | 熊本鎮台参謀 |
明治7年(1874年) | 佐賀の乱、参謀として出陣 |
明治10年(1877年) | 西南の役、別動第二旅団参謀として活躍 |
明治11年(1878年) | 陸軍大佐 名古屋城、姫路城の保存を上申 |
明治17年(1884年) | 死亡(45歳) |