宿毛の北東を流れる松田川に作られた堰で、江戸時代前期、土佐藩奉行として強力に政治をすすめた野中兼山の指揮によって構築されたと伝承され、兼山独特の糸ながし工法とよばれる湾曲した形をしています。
平成7年、堰の改修にともなう発掘調査がおこなわれ、兼山当時の遺構は発見されなかったものの、度重なる改修作業の跡が現れ、兼山当時から脈々とつづく土木技術が明らかとなりました。
河戸堰
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宿毛の北東を流れる松田川に作られた堰で、江戸時代前期、土佐藩奉行として強力に政治をすすめた野中兼山の指揮によって構築されたと伝承され、兼山独特の糸ながし工法とよばれる湾曲した形をしています。
平成7年、堰の改修にともなう発掘調査がおこなわれ、兼山当時の遺構は発見されなかったものの、度重なる改修作業の跡が現れ、兼山当時から脈々とつづく土木技術が明らかとなりました。