幕末から明治にかけて、幡多地区の各部落では泊り屋を建てて若い衆が宿泊する風習がありました。
幡多地区の泊り屋(やぐら とも言った)は、すべて高床式の独立家屋で、百数十ヵ所も設置されていました。
これらの泊り屋も明治末期から大正にかけて平屋建の公会堂に建てかえられたり、破壊されたりして、現在では、この芳奈部落に四つの泊り屋が残っています。
浜田の泊り屋は、桁行二間、梁間二間、木造高床式平屋建入母屋造り桟瓦ぶきで、栗の自然木を四隅の柱に使った最も風格のある建物です。
浜田の泊屋
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