野中兼山は江戸前期、土佐藩奉行として活躍して多くの功績えお残しますが、そのやり方があまりに強引だったため藩内から反発がでて、結局は失脚してしまいます。
兼山自身は失脚後まもなく病死しますが、兼山への反発心はなおも消えず、彼の遺児たちを罪人として宿毛へ流し、男系が絶えるまで40年間幽閉したのでした。
宿毛には今も遺児たちの墓をはじめ、兼山に関わる多くの史跡が残っています。
①宿毛歴史館 | → | ②河戸堰 | → | ③幽閉地跡 | → | ④幽閉地碑 | → | ⑤兼山遺族墓 | |
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所要時間:50分