ゆっくりゆっくりと谷間を一人のぼって行く。
ごずんごずんと石のぶつかる音。人の気配はまったくしない谷間だ。おかしいと思いながら、よりしのび足でそろっと音に近づいて行く。
二匹の仔連れ猪が鼻先で大きな石を掘り起こしてサワガニを食べている。
ひところほとんど姿をみせなくなっていた猪が近頃またなかなかの繁生で、お百姓さん泣かせの田んぼ荒しや 芋掘りまでやってくれる。猪の仔はうりぼうと呼ばれ、毛並みがしましまになっているが、大きくなるにつれてそのしまもようは見えなくなる。
開拓のため山奥に入った人が、たまたまその通り道をこぎとってふきおろしの小屋を建てたが、一夜その小屋の屋根をみしみしと踏んで通っていったと言う程、自分の通り道を決めている。岩の間に溜まった泥をすき返してミミズを とったり、雑木林の中などで四、五十糎(せんち)もある様な穴を掘る。山芋を掘って食べた跡なんだ。 春先まだまだ頭をもたげて来ない筍を、みごとに掘り出して食べてしまう。くすばの根っこなんかきれいにかんで食べている。
どうして上手に見つけ出すのか、不思議なくらいだが、まことに猪の鼻は偉大である。
鋤(すき)、鍬(くわ)の役目をすることはもちろんだが、食べ物のにおいをかぎつける力も、また抜群だと言うより他に考えようがない。
猪を飼いならして春早く竹藪(たけやぶ)に連れて行き、花咲かじいさんのポチ公ではないが、ここ掘れブウブウ、筍がある。といった具合でつかったり、どこの国だったか警察犬ならぬ猪を犯人さがしに使ったという記事を 見たことがあるが、ありそうなことだと思われる。
ごくどうをかまえた人間が、山芋掘りまではやらせることは無理だろうが、それにしても自然の中で生き抜くために備わった力というものはえらいものだと感心する。
山歩きのとき谷間のじめじめしたとこや、山奥の田んぼをまぜ返してべとべとにしたり、土をすき返した跡に行きかかったら、それは猪のやったものだと思ってまちがいないだろう。