松尾峠(まつおとうげ)、藩政時代は松尾の道は、土佐と伊予を結ぶ大切な道の一つでした。
土佐では大深浦(おおぶかうら)、伊予では小山(こやま)という所に関所があって、通行する人を見張っていたと言います。
その松尾越の道中には大きな松の並木があったり、坂の急な所には石だたみがしかれていたりしていました。
並木の松も戦時中、造船材として切り出され、せっかく造られた輸送船も終戦とともに丸島周辺にそのかばねをさらしたままになりました。
大深浦から一歩一歩湾内の風景を楽しみながらやがて頂上に立つと、そこには土佐伊予の国境を示す石柱が今も昔のままに立っています。
峠の茶屋があり、年寄り二人で通りがかりの人々に番茶や駄菓子をあきなっておりました。
ある日のこと、土佐のこびきが茶屋の裏手の大松を切り倒しました。
こびきはのこぎりを使いながら、この松は不思議なことに松のにおいがまったくない。そのかわり、なんだかいやに生臭い木だ、そう言いながら切りました。
ところがそのあくる日から、ちゃやのおじいさんが変なことを言ったりしはじめました。
ご飯どきになると、猫を飼ってもいないのに、そこに本当にいるように呼ぶのです。ご飯や魚をそれそれと言いながらやるのです。
昔からの出来事をいろいろ知っている年寄りが、こびきの話をしていたことなどから、松はおそらく古狸(ふるだぬき)の巣木だったにちがいない。 そいつが巣木を切られてから、おじいさんの所にやって来て餌をせびっているにちがいないと言いました。
早速、古狸追出し作戦が行われたが、おじいさんはもと通りけろっとしていて、そんなことがあったことはちっとも覚えていなかったということです。
夜になって松尾の坂ごしをすると、狸が松の木に登ったり、むささびが飛んだりするのを日の光で見かけるような道でした。
ですからいろいろ面白い話も残っています。今は茂ってなかなか通りにくい道ばかりになりましたが、登り口はたくさんあります。
「純友城跡」や「向い地ぞう」「わしのとやば」などを訪ねながら、北に連なる山々と南にひらける海の気を胸一杯すいながら、土予国境を歩いてみるのも 興の深いものです。
あるいはそのかみの純友配下の者達の帆のまく声や、そこらの草むらにひそむいたずら狸の気配がそれとなく肌にしのびよって来るかも知れません。