丸木橋を渡って行くと斧の音が寒空の空気をきってひびいてくる。
雪でもつもってあぶない日はしかたがないが、たいていのことなら山の人達は仕事を休むことはない。
山合いに白い煙がたてばそこに炭窯があり、一足一足近ずくにつれ、風に乗ったあまずっぱくてちょっとさす様な香がやって来る。焼き上げられた炭は、だすにつめられ麓の道に運び出される。馬の背をかることも多い。 馬は丸木橋の側の浅瀬を通る。
ふきのとうが丸い頭をもたげてそっと首を伸ばし、春がそこまで来たことを告げてくれる頃になると、その渡瀬の馬の踏跡が気になり始める。
どうして知るのか二月三月の候、この渡り場にいだの群れがおしよせる。本名のうぐいと呼んでくれる人はほとんどない。
あゆの網にかかるうぐいはあわれなもので、見向きもされないでなげ捨てられる運命にあるが、寒中から春先のものはなかなかどうして捨てたものではない。
山仕事の人達が渡瀬を気にしはじめるのも当然である。
ひづめできれいに磨かれた小石は、彼等の産卵の場としてよろこばれる。
馬達はなにもそんなことまで考えて通るのではないことは当然ながら、うぐいにすれば、こけのねた小石に体をこすりつけ、きれいにみがいて卵をつける苦労がはぶける。
時期になると山小屋の一隅にいつでも使える様に一張りの網がおかれる。待っていた群れの姿が今年も又やっと見えた。
「おおい、とうとう来たぞ。こいやあ。」
一谷向こうの仕事場にも声をかける。
いだの背が水から盛り上がって黒く光る。ほんの何十センチもない程の浅瀬のことだから、なむらになれば水面上にまで盛り上がる。
その群れめふがけて手なれた様子で網が打たれる。川原は思わぬ程の大量で早速に味見の塩焼きがつくられる。集まった人々の中から誰 言うとなし今日は早じまいにして今晩は一杯やるか。それもよかろうと話はきまって一応仕事場に引き返して行く。
おばあちゃんの手作りのご馳走で、子供達も、大人も楽しい夜のひとときをその晩は送るのである。
こんなそぼくな楽しみもあらかた姿を消して来た様である。
「いだ」について
※一生を川ですごすものと海に入ってくらすものとに分けられ、片島港内でもよく釣られることがある。この辺ではそれ程大切にされないが長野県、群馬県などでは大切な資源であると言われる。
※産卵のためいだが集まることを「いだがたつ」という。