雪やこんこあられやこんこ。
寒さの中で一生懸命荒瀬の川を掘り、夏の暑さをこらえて土手をもり、井関をきずく人々。
その仕事を計画し、おし進める野中兼山(のなかけんざん)。
そうした人々のご苦労が、宿毛発展のもとをたしかなものにしてくれました。
今から三百年あまりも昔のことでした。
そのころ、兼山は河戸井関(こうどいせき)をいつまでもこわれる心配のないものに作ろうと、苦心していました。
ある日のこと、工事場のそばを通りかかった一人のおばあさんが、なにかぶつぶつ言いながら川を見ていました。
下役の侍がそれをききとがめました。
「何か工事に文句をつけているようだが、文句があるなら上役の前ではっきり申し上げろ。」
と、おばあさんを兼山の所に連れて行きました。
おばあさんは、わるびれる様子もみせずに、
「今作っている井関の形では大水がでたら流されて、また作り直さんといかんことになる。両岸から縄を引っぱって、その縄に水の力が一番かからんところをせき止めたら一番丈夫なものになる。私はそう思って見よりました。」
と、言いました。
それを聞いた兼山は、なるほどとうなずいていろいろ試してみました。
そうして形をとり入れたのが、今の
河戸の関だということです。
さしずめ兼山の糸流し工法(いとながしこうほう)と言われるものが、ここから生まれたということになりそうです。
そのおばあさんの名前もなにもわかりません。しかし、口から口へと伝えられてきた話です。
どこの誰ともはっきりしない年寄りながら、そうしたことを考える人。それをとりあげて聞くことのできる兼山。
そんなことがあった、なかったは別として、この話の中からどちらもたいしたものだという感じをうけるものです。
以前は毎年お百姓(ひゃくしょう)さんたちが、井関のうわこぐちの杭(くい)をうちかえ、細長くのびた樫(かし)や椎(しい) の木を編んで水がよくたまるようにしていましたが、改修後はその作業も見られなくなりました。