たかながはとても元気できかん気の子供でした。
朝から晩まで、走りまわっていました。
ですからついつい遠方まで遊びに出かけて、お父さんやお母さんと一緒にご飯を食べることのできないこともありました。
元気なことは結構なことだと思いながら、お家の人達はそんなことがある度にどこへ行ったのだろうか、怪我(けが) でもしたら大変だがと、そんな心配ばかりしていました。
お母さんはたかながに、
「そんな心配をかけるものではない。」
と、度々言い聞かせました。
それでも腕白盛(わんぱくざか)りのたかながです。お母さんの言うようにおとなしくかまえて暮らすことはなかなか出来ませんでした。
その日も夕暮れの時の冷たい風が吹き始めたのに、どこでどうして遊んでいるのか、声さえ聞こえません。
あたりが暗くなってから、やっとのことに息をははずませながら帰って来ました。
お父さんとお母さんはここらで一つこらしめておいた方がよかろうと思って、庭の大きな柿の木にたかながをしばりつけました。
「悪いと思ったら大きな声で呼びなさい。」
と、言い残して家の中に入ってしまいました。
どれだけきかない気の子供でも、きっとそのうちにさみしくなって呼ぶだろうと思いながら待っていましたが、 一向にその気配はみえません。
戸のすき間からのぞいて見ても、たかながは平気な様子でがんばっているのです。
どうやら夜中もすぎたようです。
家の中では、そろそろ許してやろうという話もでてきました。
しかし、ここで許したらつけあがるかも知れないということで、縄をほどいてやりませんでした。
家の内と外で、親と子がそれぞれの気持ちでみつめあっているうちに昼間の仕事のつかれもてつだったのでしょう。 お父さんもお母さんも、ついうっかり居眠りをしてしまいました。
鶏(とり)の鳴く声ではっと気がついた二人は急いで外に出てみました。
なんと、どうしたことでしょう。
可愛いたかながが、おなかから足まで、下半身をなにものかに食い切られて息たえているのです。
張りつめた気持ちでしょっちゅう戸のすき間から、今呼ぶか今呼ぶかとのぞいていたお父さんお母さんです。 それが、うとうと居眠りしてしまったのは、あるいは魔物の仕業(しわざ)だったのかも知れません。
たかながのそんな死を悲しんだ両親は、村の人達に相談して二度とそんなことのないようにと、鎮守(ちんじゅ)の お宮の境内に祠(ほこら)をつくっておまつりすることにしました。
その後、この祠にお参りすると足腰の病気が治るということで、たくさんの人々が参拝(さんぱい)にきました。
たかながさんの祠は今でも野地のはいたか神社の側に建っています。