「中市」ちゅとこは、今でこそ静かな場所になっちょるが、その昔は炭を積んだ高瀬舟や、筏(いかだ)に組まれた材木がいっぱい集められ、こっちから船につみこまれ、あっちこっちと遠方まで送られる。
「この辺きっての大事な港じゃった。」と言うてもよかった。
出入りの船の中にゃあ、いろんげなことに出会うた船もあっつろう。しけでやられた船もあったかも知れん。
その日の朝は、川一面もやがいっぱいで、河戸の瀬音がいやに耳についた。
おんちゃんは友達と話しおうて、大海(おおみ)へ釣りに行くことにしちょったが、友達は途中で用事があるけんと、自転車で行くことになり、
「そんなら向こうで落ち合おう」
言うて、一人で大橋の下から船を漕ぎ出した。
荒瀬をまがって「もう中市じゃ」というときに、もやの中から大きな帆船が見えてきた。
「はて、おかしなこともあるもんよ。以前ならいざ知らず、近頃こんげね船がはいって来れるはずがない。」
そう思うてよくよく見なおすと、帆綱(ほづな)をさばく人の姿まで見える。
「こりゃあ、ただごとではない。」
と思うて、ふくろから鹿の角を取り出し、船へ向けると、途端にすうっと消えてしもうた。
やっぱり魔性が人をたぶらかすつもりじゃったがろうと思いながらも、事なく大海まで行きついた。
ところが、自転車で来る言うた友達がいっこう来ん。「虫の知らせというもんか、ひょっとして」と思いだすと、あれやこれやと気になってひとりで釣りよる気がせいで、また来た海を引き返した。
もんてくるなり、友達の家へいてみると、本人どうなり口はきけるが、大怪我で体の方はうごかせん。
「今日はおまさんと釣りに行く言うて、朝早うに出かけたが、中市の橋のたもとで下まで落ちてこの始末。通りがかりの人が見つけてくれて助けられた。」
と家の人が話してくれる。
「あんげなとこでどうひて落ちつろう思うじゃろうが、なんせ橋のしもを見たら、大きな帆船がうかんじょる。おかしなこともあるもんよ、とおもいよるうちに落ちたがよ。」
本人ぽつりぽつりと、今朝がたのことを話してくれる。
「そいたら、わしの見たもんといなもんじゃった。わしの方は、鹿の角だひたらきえたが、胸さわぎがして落ち着かんけんもんて来た。まさかこんげなことになっちょろうとはのう。」
そんなことで友達はしばらくうごけなんだ。
前からいろいろ聞いちょったが、わしら二人がそろうて見たんで、まさか夢じゃなかろうと、今でもそんげに思うちょる。
「世の中にゃあいろんなことがいるもんよう。」
おんちゃんは、ぽつんと一言つけたした。